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12/4 The Birthday @ 豊洲PIT

もう20年も前の話になるが、私の高校生活は、人よりも少し苦労の多い3年間だった。中学生活が終わりに近づいていた頃に、両親の仕事の都合で急きょ見知らぬ土地へ転校せざるをえなくなり、自分の成績で入れる確実に高校にとりあえず入学した。それが人生初の大きな試練の始まりだった。クラスメイトとの会話の話題に何一つ興味が沸かず、作り笑いをしてやりすごし、毎日自分を撃ち殺しながら高校へ通った。もしかしたら、途中で辞めても良かったのかもしれないが、親の事を思うと辞められなかった。また、辞めるという決断をしたら、そっちのほうがもっと苦労をするとわかっていたから、ずっと我慢。胃の痛む毎日だった。

音楽は好きだった。元々子供のころからピアノを習っていたし、中学時代は3年間ブラスバンド部に所属。また、テレビドラマの主題歌であったり、流行りのポップソングも良く聴いていた。音楽が身近ある生活だけは、高校に入ってもずっと変わらなかった。ある晩、ラジオを聴いていたら、ビリビリと身体に電流が走ったかのような大衝撃を受けた。「なんだんだ、これは?」。すぐにCDコンポに入っていたカセットテープを回し、番組を録音をする。そして、私は彼らに一瞬にして虜になり、急に今まで好きで聴いていた音楽が子供っぽく思えてしまった。そのバンドこそ、チバユウスケ(Vo)アベフトシ(G)ウエノコウジ(B)クハラカズユキ(Dr)がいた、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTだった。

今思えば、高校以外の場所へと視野を向けることができたら、それなりに楽しく過ごせたのかもしれない。また、単純に、ただ自分をうまく表現できなかっただけなのかもしれない。しかし、当時は地方にある高校という狭いコミュニティしか知らず、今のようにSNSがあったわけでもないから、他に居場所を見つけることもなく、とにかく毎日孤独だった。だから、私は自分の殻に籠った。そして、現実から逃げるようにミッシェルの爆音に自分の身を委ねていた。ミッシェルを知っている人がほとんどいなかったことが救いで、それが自分を守ってくれているような気分だった。

しかし、ミッシェルがきっかけで、ロックバンドについて話せる友人がついに出来た。いつしか自分もバンドをやりたいと思い、更に音楽を突っ込んで聴くようになった。そして、毎月発売されるJAPANも愛読するようになれば、ライターという仕事にも憧れた。それが、退屈な高校生活の中で唯一希望が持てた時間であり、今思えば私の大切な原点だった。

高校3年の冬に、一度ミッシェルのライヴに行った。忘れもしない、1999年のアリーナツアーでやっと取れたチケットだった。確か”ウェスト・キャバレー・ドライブ”が一曲目で、初めてモッシュも経験し、一緒に行った友人とはぐれてしまう。ライヴ後足元を見ると、買ったばかりのスニーカーの紐が引き千切れてしまっていたが、勲章だと思ってボロボロになるまで履きつぶした。

ミッシェルが解散してしまう頃には、正直、このバンドへの熱が冷めていた。高校卒業後は念願の軽音楽部のある短大へ入学し、バンドを続けたくて4年制大学に編入までしてしまったバンドバカの私だった。でも、大学を卒業し社会人1年目にもなると環境の変化から音楽を聴く余裕もほとんどなくなっていった。また、同時期にガレージパンクというイメージの強かったミッシェルには、情緒的で静かな曲が増えてゆき、チバはROSSOという新しいバンドを始めたりもした。私はミッシェルの変化も、チバがROSSOを始めたことも受け入れず、結局、2003年10月11日に開催された解散ライヴには行かなかった。

2009年の7月。アベの訃報を職場で偶然知った。目の前が涙で滲んでしまい、トイレに駆け込んだことは今でも良く覚えている。こういう時こそ、故人を偲んでミッシェルを聴くべきだったかもしれない。でも、私はさらにミッシェルと距離を置くようになってしまった。本当に終わってしまったんだと、受け入れることができず、自分の中で封印した。もう二度とミッシェルを聴くことはないと、その時は本気で思っていた。


それから17年と言う長い月日が経って、私はようやくThe Birthdayのチバユウスケとして、歌う姿を観ることができた。

きっかけは今年の夏、シネロックフェスティバルで『”THEE MOVIE”-LAST HEAVEN 031011-』を観たことだ。これは、ミッシェルのラストツアーである「LAST HEAVEN TOUR」のツアーファイナルの模様とドキュメンタリーで構成された2009年に劇場公開の映画である。当時、公開されることは知っていたが、観たいとは前向きに思えなかった。

解散から13年を迎えようとしている2016年に、私はようやくミッシェルの終わりと向き合った。そして案の定、複雑な心境に陥った。アベが大画面の中では鋭いカッティングでギターを鳴らしている。でも彼はこの世にはもういない。涙が零れ落ち、頭の中で大混乱が起こる。しかし、気づけは曲に合わせて拳を振り上げたくなり、メンバーの名前を叫びたくなる自分がいた。最後の”世界の終わり”の美しさには言葉を見失ってしまう。幕張メッセを人でパンパンにしておきながら、このバンドは終わってしまうことに現実味が沸かなかった。

『”THEE MOVIE”』を観終えた数日間は大きな喪失感にずっと囚われてしまったが、落ち着きを取り戻した頃になると、聴けなかった後期のアルバムを一通り手に入れ、聴くようになった。それが、最高にカッコよかった。何一つ「古い」と感じることがなかった。今もどこかのライヴハウスに立っているんじゃないかと信じたくなるほどの現役感すら感じてしまった。

その中で、一番胸を打たれた曲が”GIRLFRIEND”という曲だ。この曲は『THEE MOVIE』のエンディングテーマとしても使われている。



ひどく衝撃を受けた。絶望、怒り、そして無念。今までミッシェルを聴いてきて感じたことのない感情が、私の心に沸き起こった。しかし、いつになくメッセージ性の強い歌詞と、それをリスナーの胸にたたきつけるよう激しく声を上げたチバからは、ミュージシャン人生をかけてこれから自分が歌わなければならないものを見つけてしまったんだと思った。真相はわからないが、もう、ミッシェルではチバの歌いたいものを歌い続けることが、不可能だったのかもしれない。あの破壊的なパフォーマンスに、限界を感じていたのかもしれない。ただ、この曲に込められているものは、痛みを知ったからこそロックンロールを信じる想いだろう。それが発売から13年経った今でも、しっかりと呼吸をしていた。そこに痺れてしまったのだ。だから私は意を決してThe Birthdayのツアーチケットを取った。

12月4日。私は豊洲へと向かった。PITの中に入ったのは開場から15分近く経っていたが、メンバーが登場するまで一時間以上待たされたような気分だった。そしてSEに合わせて、クハラカズユキ(Dr)フジイケンジ(G)ヒライハルキ(B)そしてチバが現れた。



一曲目の”ディグゼロ”は決して涙を誘うような曲ではないが、演奏が始まり、チバの声が聴けた瞬間に目から涙が零れ落ちた。メンバー全員、誰一人として客に媚びを売るようなことはしない。MCだってないに等しい。終始一貫硬派に務め、最高にクールでロマンチックなバンドだった。荒野を駆け抜けるようなタイトなビートを刻むリズム隊のキュウちゃんとハルキ、情緒的でジェントルマンなギターを奏でるフジケン、そして人情味溢れる嗄れ声でLOVE & PEACEを歌うチバ。

何度かチバの横にアベとウエノがいないだとか想像してしまった自分も正直いた。その度に泣けてしまってどうしようもなかった。でも、The Birthdayのライヴのステージに立つチバとキュウちゃんの姿は、私が初めてミッシェルのライヴで彼らを観たときと変わらない。確かに年齢を重ね顔に刻まれた皺も増えていたが、私の中では、チバとキュウちゃんの存在の大きさは、何一つ変わっていなかった。そしてその時思ったのだ。好きなバンドが解散してしまったとしても、そのバンドやミュージシャンが変わらず音楽を鳴らしているなら、聴き続けるべきであると。躊躇が生まれるのは当然だし、受け入れられないこともある。でも、自分の人生に希望を与えてくれた人の作る音楽は、変わらずあたたかな光を、自分に照らしてくれるのだ。



私には、チバがミッシェル以外のバンドで歌を歌うことへの抵抗がずっとあった。だから、この日を迎えるまで10年以上の長い時間を要してしまった。でも、そこに後悔をしているわけではない。それ以上に、彼らが私にとって最高にかっこいいロックンローラーで、唯一無二のカリスマで、永遠の憧れであることを確かめられた喜びの方が大きかった。ツアーは終わってしまったけれど、私としては新たな出会いが始まったばかりである。生きていくための楽しみが一つ増えた。それが心から嬉しい。

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by musicorin-nirock | 2016-12-06 12:18 | LIVE | Comments(0)

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by yu_tanai_coco
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