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Nothing's Carved In Stone 『Existence』を聴いて


        

そもそもNothing's Carved In Stone は出発地点から当たり前のように「かっこいい」バンドだった。2008年に活動休止したELLEGARDENのギター・生形真一が始めた新バンド。ベースはストレイテナーの日向秀和、ドラムはFULLARMORの大喜多崇規という錚々たる面子に、その実力も窺える3人がバンドのフロントマンとして迎え入れたのがABSTRACT MASH(現在活動休止中)のヴォーカル・ギター村松拓である。
村松は一言で言うと、かなりのひょうきん者だ。しかし、一度ステージに上がるとボロボロと化けの皮がはがれ落ち、野心剥き出しの情熱的な歌声を放てば、ライヴ終盤を迎える頃になると、恐ろしいほど覚醒している男である。彼が生形・日向・大喜多に対しコンプレックスを持っていたことは、雑誌の個別インタビューで語られているが、今では彼の存在がバンドやリスナーに莫大な影響力を与えていることは言うまでも無い。

メジャーからインディーズへと返り咲いた2015年にリリースされた前作『MAZE』以降、NCISのバンドサウンドはやんちゃになった。とにかく自由奔放で、その姿はまさに破天荒な暴れ馬。そして今作『Existence』では更に個性が強くなった4者4様のプレイスタイルで、メンバーは容赦なく大爆走当たり前にのようにかっこいいバンドとしてNCISは誕生し、そのかっこよさは衰えることなく、バンドの進化とともに磨かれている。ところが「今のNCISは私達リスナーにある硬派なイメージを、自ら壊しにかかっているのではないか?」と『Existence』を初めて聴き終えた後、私はふと思ったのだ。

活動初期の頃は英語一辺の歌詞であったが、メンバーは日本語で歌詞を書き、村松が歌うようになった。そして、より人間味を帯びた楽曲が次々と誕生し(例えば”きらめきの花”という曲が生まれたことがそうだが)ライヴで観客とコミュニケートしていく中で、彼らにとって歌”の在り方が大きく変わった。『Existence』のラストにはゲストミュージシャンにヒイズミマサユ機(Key)を迎えたバラードナンバー”Adventures”が選ばれているのだが、理由はここに繋がるだろう。つまり今作『Existence』は明らかにNCISにとって大きな節目になるアルバムであり、また、バンド史上多彩な楽曲が揃っている視点からみると、NCIS自身が”Adventures”(冒険者)であり続けることを決意表明でもあるのだ。

今年でバンド結成9年目を迎えるが、いつだってエキサイティングなステージを展開し、胸の中にある熱を確かめさせてくれるNCISの核(コア)が『Existence』には詰まっている。ドクドクと鳴る4人の鼓動を是非手に取り、身体全部で感じて欲しい。

        


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by musicorin-nirock | 2017-02-25 21:12 | MUSIC | Comments(0)

2017 / NICO Touches the Walls

私がNICO Touches the Wallsを初めて観たのは、2006年4月。GRAPEVINE目当てで行ったJAPAN CIRCUITというイベントだった。

この時にオープニングアクトを務めていたのがニコ。オープニングアクトということは所謂20代前半の若手バンドだろうし、「NICO Touches the Walls」というバンド名からは、演奏も雰囲気もキャピキャピとしたうるさいだけのバンドだろうと想像していた。だけど、いざライヴが始まると、それをまんまと覆された。若者らしからぬ渋い曲ばかりを畳み掛ける姿に拍子抜け&好印象を持ったけれど、ライヴ後に物販でCDを買わなかったし、バンドについて調べて後日ライヴに行くわけでもなかった。ただ妙に長いバンド名だけは印象的で忘れられずにいた。

それから数年経ったある日、テレビで放映されていた有名音楽プロデューサーのドキュメンタリー番組を観ていたら、あるバンドのレコーディング風景が流れている。

「ああ!私このバンドを知っているわ」。

それがニコとの再会だ。その翌日だったか忘れてしまったけれどCD SHOPに行き、店内の目立つ場所に大々的に展開されていた彼らの一枚のアルバムを手に取る。「聴いてみよう」という好奇心と期待しかなかったから、試聴もしないで、何のためらい無くレジへと向かった。ジャケ買いや、思いつきで買ったCDが失敗だった経験は数知れず。でも、この時買った『オーロラ』は違った。”かけら~総ての想いたちへ~”は唯一知ってたが、それ以上に”ホログラム”のみずみずしさが気に入って、”芽”の歌詞には胸を打たれ、”トマト”はただただ切なくて泣けた。かつて、ライヴで聴いた楽曲とはまるで別世界だったけど、特に違和感も何も感じないくらい、とても好きなアルバムになった。

2012年11月25日。この日もGRAPEVINE目当てで行くことにした「1125の日ライブ」で、6年ぶりにニコのライヴを観た。すると終演後にはしっかりハマってしまい、翌日には早速直近のライヴ情報とディスコグラフィーを調べ始めた。

インディーズデビュー直後のライヴを観ていたことは覚えていたし、それ以降のニコの軌跡を後追いで知れば知るだけに「あの時ちゃんと追っかけていたら良かったのかな・・・」と思ったことも一度じゃない。でも、偶然にもニコが大きく変わろうとする直前のタイミング(2013年の「1125の日ライブ」で日本武道館公演へのリベンジ宣言をする前)で歩み寄り、バンドと共に駆け抜ける時間の中で、確実に私は生きる力を取り戻せた事を思うと、この巡り合わせに感謝しなければ…と常に思う。

ニコは決して器用なバンドではない。いつだって遠回りだし、なんだかベタで泥臭い。でも、だからこそ彼らの悔しさも喜びも共感できたのだと言い切れるのは、なぜなら、日々生き辛さを感じてしまいがちな私自身が、決して器用な人間ではないからだ。<わかってるんだろ?/どんな答えも/僕が出していくこと/気付いてるんだろ?/どんな弱音も/僕の声だ>。私がニコの楽曲の中で一番好きな曲、"Mr.Echo"の一節である。開き直りでも諦めでもない、弱音だって「僕の声」だと認められたとき、人は本当に強くなれるのだと思うし、何よりステージ上で彼らはそれを体現し続けていた。

昨年、アルバム『勇気も愛もないなんて』発表以降、明るい歌を歌うニコの変化には戸惑っていた。彼らを取り巻く諸々(ぶっちゃけ売り出し方とか)に対して小言をぼやいては、ライヴに行く理由も正直わからなくなり、「これを潮時と言うのか・・・」と苦虫を踏みつぶしたような気持ちになった。それでもライヴ会場に行けば、いつだって「良い音楽」に溢れていたから、どうしようもなく心揺さぶられてしまう私もいて、だから余計にニコのライヴについて言葉に残したくなった。

私が目で観て耳で聴いてきた全てから生まれた感動に比べたら、私の小さな反抗心は、なんだかとってもバカバカしい。けれど私はニコの真実を伝えていくことをしなければ、このもやもやした気持ちは消えない。それを内輪だけで共有するのではなくて、外野にいる人達も巻き込まなければ意味が無い。5月の大阪城ホールのライヴ、オーラスの”手をたたけ”で涙が止まらなかったのは、私が戦うべき場所や相手も間違えていたと気付いたからだ。微力でしかないけれど、それでも物書きの端くれとして生きているんだから、それが勝手に私に託された役目と思って、これからもニコ見届けていきたいと思った。

ニコの音楽性は、過去と今とで大きく違う。よって、様々な意見がリスナー間で引っ切り無しに飛び交うバンドであるが、インディースデビューから今日までの長い軌跡や、一曲一曲、楽曲の背景を読み解いていけば、今のモードに転換したことが本当に自然であったと納得ができる。

ここで最新シングル”マシ・マシ”を例として挙げてみる。

この”マシ・マシ”という曲のタイトルには「明日が今日より少しでもマシになりますように」という願いが込められ、その由来にはマーヴィン・ゲイの”Mercy Mercy Me”とローリング・ストーンズの”Mercy Mercy”の存在があり、”Mercy”を日本語に訳すると「慈悲」という仏語で、「人を憐み、楽を与え、苦しみを取り除くこと」を意味する。ゆったりとしたビートを刻むグルーヴ重視のバンドサウンドと(ライヴではさらに原型が崩される)ソウルフルな光村の歌声からも、洋楽へのリスペクトを感じる事ができる。そして、素っ裸な歌詞には親近感が湧き、<あとはきみしだい>というサビの言葉は「きみ=リスナー」と置き換えも可能で強いメッセージ力があるが、実は「きみ=光村自身」という自戒の意味も込められている。

一聴すれば誰もがポップミュージックという概念に当てはまると思うだろうし、私自身もそう感じたが、裏を探ればこの曲はニコ流カウンターミュージックであり、今の音楽シーンとそこに立つ自分達へ彼らは中指立てている。開けたとても明るい曲だが、BPMは遅めで今のトレンドとは真逆。しかし、自然とハンドクラップしたくなるノリの良さが強い分、フェスが中心に回っているシーンでどう受け入れられるか、大きな賭けに出たとも言える。しかも、テレビアニメのEDテーマとして起用されたわけで、自動的に大勢に人の耳に届くことにも狙いがあるに違いない。

そんな”マシ・マシ”が生まれたことは、バンドのソングライターである光村が長年抱えていた苦悩から解放された証であり、ようやく手に入れた自由の中で生まれる音が、今後私達の元へと届く約束のようなものである。そして、音楽人として生きる新たな覚悟が生まれたからこそ、これからニコは大きく変わっていくだろうし、本来、何かを表現する者は、どんどん変わるべきなのかもしれないと、彼を見ていて気付かされた。元々の不器用さであったり捻くれ者の素質は変わらずくっついて来てしまうだろうけど、ニコのめっきり明るさ満点に聞こえる歌の奥に潜む影にこそ人間らしさを感じるし、これこそニコの一番の魅力であり、かつ今のシーンに枯渇しているモノだと思う。

2017年、2月12日に開催されるのファンクラブイベント『my Funny valentine』がニコの今年初ライヴであり、そしてすぐに全国ツアーも始まる。今年がどんな1年になるのか、色々と期待しているけれど、そんなものいとも簡単に裏切るくらいの、大飛躍の年になることを願っている。

         

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by musicorin-nirock | 2017-02-11 12:17 | COLUMN | Comments(0)

11/25 NICO Touches the Walls @東京・赤坂BLITZ「1125/2016」





2006年、当時インディーズで活動していたNICO Touches the Wallsは2枚のミニアルバムを発売した。どちらも未だファンの間では人気の高いアルバムであり『Walls Is Beginning』は通称青盤、『runova✕handover』は赤盤と呼ばれ、鋭いジャックナイフを世間の汚さに向けているが、自堕落な自身を嘲笑う狂気性も存在する。そして、その根本にあるものが若者らしい焦燥や、彼らに付きまとう孤独感。しかし、ここで赤盤に収録されている”壁”の歌詞を一部取り上げてみる。
ー理想を追い 現実を憂い その間に揺れながら
 わずかなその光を信じてみたいのさ
ー今日も明日も睨み合いで生きる
 そんな未来を僕ら背負え
ーいくら遮ってもまだ見ぬ光を きっと手に入れる
 遮っても 遮っても... 遮ってるもの
 だから遮ってるもの 全部越えていく

私がこの曲から感じたものが、目の前を壁に遮られたとしても、再び光を求めようとする貪欲さだ。当時の楽曲からは殆ど表面化させていない気概に満ちた姿が、言葉の裏から見えてくる。ならば、別の場所から光を当てて、若者らしいフレッシュさで歌うことだってできるだろう。けれど、内向的な捻くれ者は孤独に生きる道を選んだ。それがニコの始まりだった。




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それから10年という月日が流れた。

毎年11月25日に開催している1125(イイニコ)の日ライブ「1125/2016」のテーマが「青盤と赤盤の再解釈」、つまり2枚のミニアルバムの再現ライヴだとわかった時、私は正直戸惑った。バンドのバックグラウンドを知ることは、バンドを長く聴き続けていく上で重要なことはわかっている。けれど、近年バンドのモードはめっきり明るいものとなり、ステージから伝わる充実感や風通しの良さからは、もう過去を掘り起こす必要性は皆無だと思っていた。・・・それだけではない。彼らは、2013年11月25日、そう3年前の1125の日ライヴで宣言した2度目の日本武道館へのリベンジ以降、散々原点を見つめ直す作業を繰り返してきたのである。だからこそ辿り着いた現在地では、インディーズの回顧は似合わない。歌うべき歌はもっと他にあるだろう。なのにどうして?と不穏が気持ちに取り憑かれていた。


どうしてニコは「青盤と赤盤の再解釈」をテーマにしたのだろうか?

先に理由を明かてしまうと、2枚のミニアルバムが世に放たれてからちょうど10年。当時とは全くモードの違う音楽をやっている今の自分達が、インディーズ時代の曲を演奏したらどんな感じになるのか?それを確かめる如く、楽曲が誕生したスタジオのある街、東京・赤坂で再び鳴らそうという試みだ。

ステージの上でそう説明する光村龍哉(Vo&G)は、今回のテーマに特に深い意味合いを持たせているような素振りを見せなかった。



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2016年11月25日。

光村が「ようこそ」とフロアに声を掛けると、古村大介(G)が奏でる流麗なギターが鳴り響き、光村が歌い出したのは”行方”。ジャジーなギターと坂倉心悟が爪弾く低音がグルーヴを作り、一瞬にしてオーディエンスを魅了させ、その直後に登場した”壁”のドラマチックな情景に私は言葉を見失う。自らの宿命を受け入れ、バンドと共に歳を重ねてきただけの力強さが、この曲には宿っていた。木漏れ日のように温かく会場を包み込んだミドルバラード”梨の花”の慕情感や、若き吉田拓郎を思わせるフォーキーな”僕がいなくても地球はまわっている”の郷愁からは、10年前のニコの姿を見ているよう。ライヴは始まったばかりというのに、過去と現在が入り交じるステージを前にしたら、脳内が混乱し始める。

淡々と綴られる行き場のない喪失感を、無数の砂に例えた”幾那由他の砂に成る”は、最小限の音数で描かれた。ステージから漂うひんやりとした緊張感をフロアの隅々までに行き渡らせると、更にオーディエンスを静寂の地に潜り込ませたのが”プレイヤ”である。対馬祥太郎(Dr)が刻むエキゾチックなビートの上では優美なベースラインが舞い、曲のクライマックスにかけて波打つギターアンサンブル。その上に重なる光村のロングトーンは「闇から抜け出したい」という救済の声にも聞こえた―――それにしても、聴いてて呆然としてしまうほどの、若者らしからぬ音楽嗜好なのである。直後のMCでは光村曰く、当時は渋いバンドばかりから対バンを申し込まれていたとか。すると、対馬「ハタチだよ」古村「怖いよね」坂倉「怖いモノ知らずだったよね」と皆が本音を零していく。

20歳(ハタチ)になれば誰もが「大人」と認められ、世間からの視線も変わる。しかし(私自身もそうであったが)実際は、まだ未熟さ残る年代だ。だからこそ、彼らは脆い自分を隠すために、敢えて暗くて渋いサウンドに身を投影していったのではないだろうか?そんな当時のニコの象徴と言うべき曲が”病気”である。全身に伸し掛かるブルージーなバンドサウンドからは昭和歌謡の匂いが漂い、聴けば瞬時にドキッとさせられる<父ちゃんは病気だから>と光村は吐き捨てるように歌う。ただ曲の途中で、歌・演奏ともにアップデートさせている今のニコに対し、少し居心地の悪さを感じてしまったが、更に身を痛めつけるよう”3年目の頭痛薬”を畳み掛けると、ここから怒濤の展開が始まった。”アボガド”で勢い良くフロアに噛み付けば、集中力の塊と化していたオーディエンスのリミッターが完全に破壊され、”そのTAXI,160km/h”の登場と共に突き上がる拳と、沸き起こるシンガロング。極めつけは”泥んこドビー”だ。♪ドドパッパーとイントロのリズムに合わせたハンドクラップも響く中で光村が<転がせろ/俺を転がせろ>と歌いながらフロアにダイブ!衝動的で捻くれていて、どこか危険な空気を曝す。それがインディース時代のニコであると、当時を回想させたのだ。

ところが、今宵、赤坂の地に捧げられた”image training”が、ひときわ輝きを放っていた。ライブも後半に突入し、ようやく登場した唯一のポップナンバーが、逆に、明るさを拒む当時のニコを映し出す。しかし今では、スタジオからの練習帰りの光景を歌う、曲本来のみずみずしさも素直さも、何一つためらうことなく鳴らしていた。ラストの”雨のブルース”は、まるで光村の独白にも聞こえる<幸せになろう/誰より幸せに>という言葉が、オーディエンス1人1人に届けられたことで、過去と現在、その先にある未来を繋ぎ止める。そんな瞬間が訪れる、幸福なエンディングだった。

若干20,21歳で早熟な2枚のミニアルバムを完成させたニコが、当時から非常の潜在能力の高いバンドであったことを私は断言できる。けれど、本来ニコは並々ならぬ努力をしながら経験を積み力を付けてきたバンドであり、その全てを物語っていたのがアンコールの”マシ・マシ”。これが本当に素晴らしかった。シンプルな歌詞から沸き立つポジティヴなエネルギーに、説得力という言葉以上の絶対的な力が感じられ、自力で切り開いた現在地は「ここだ」とニコは指し示したのである。そして、年に一度しか聴けない”1125のテーマ”が始まると、誰もがこの瞬間を待ち侘びていたかのような盛大な祝福感が溢れ出した。その時、今回のライブはメンバーはもちろんだが、会場に集まった全ての人にとって、かなり特殊なライヴであったことに改めて気付かされたのだ。



***

私にとって「1125/2016」は通常のニコのライブよりも、かなり労力を強いられた時間だった。ノスタルジーを味わうシーンもあったが、圧倒的に2016年度版の青盤と赤盤を堪能したという気持ちが強く、特に”image training”と”雨のブルース”はかなり胸に迫るものがあった。曲の本質部分が解放されたことで、明るさや幸せを歌う自分自身を肯定出来たのではないかと思う。また、重ねた年齢やキャリアに比例し、歌や演奏が強靭になったからこそ、今のニコと内面的脆さが魅力の曲との間に多少違和感を感じたが、それすら自然なことであると納得できるくらい、10年という時の流れを大いに体感できた。

「やってみたい」という好奇心から始まったライブとは言え、蘇る記憶の中で得られた全てが糧になる。

青盤と赤盤を発売した翌年(2007年)、ニコはミニアルバム『How are you?』でメジャーデビューを果たし、今年で10周年を迎える。そして、彼らは一つのその時代をオーディエンスと共に確かめた後で、始まろうとしているアニバーサリーイヤーを迎えたかったのだろう。真っ暗闇の夜空の下で、孤独を歌い続けてきた時代が永遠にニコの始まりであり、過去は姿かたちを変えることなく残っていくものである。だからもう、その全てを受け入れた上で、今の自分達に一番似合う音楽を鳴らしていけばいい。そして、真っ新な気持ちで私も彼らと向き合っていきたい。




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by musicorin-nirock | 2017-02-01 22:12 | LIVE | Comments(0)