8/26 IN A LIFETIME 2016 Presents GRAPEVINE × TRICERATOPS @ 東京・渋谷NHKホール

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2014年にGRAPEVINEはセカンドアルバム『Lifetime』のリリース15周年記念として、アルバムの再現ライヴを行った。そして、2016年にはその第2弾として、1998年にリリースのファーストアルバムの再現ライヴ「IN A LIFETIME」を、バインと同じ1997年にデビューを果たしたトライセラトップスと共に対バンツアー形式で開催。

私は8月26日東京・渋谷NHKホールで迎えたツアー初日と9月10日大阪・オリックス劇場、そして追加公演である9月17日東京・お台場Zepp DiverCityの3公演を観に行ったのだが、今回は初日のNHKホールのライヴについて書いていこうと思う。

***

先行はトライセラトップスだ。

バンド名がタイトルとなった彼らのファーストアルバム『TRICERATOPS』。20代男子のリアルな恋愛事情が綴られる全10曲には、当時流行っていた髪型(”彼女のシニヨン”)や、好きな女の子のライターに見知らぬ男とのプリクラが貼られていたり(”オレンジライター”)と、90年代後半のファッションや文化を感じさせる楽曲に目を引かれるが、40代を迎えたトライセラが歌い演奏する『TRICERATOPS』の楽曲群は、不思議なことに、どれもこれもが大人のラヴソングとして聴こえてきた。

一番変化したのは和田唱(Vo&G)の歌声だ。恋愛の甘さも苦みも知っているからこそ、男らしくセクシーに歌い上げ、佇まいもジェントルマン。ギタリストでもある彼は、味のある音色でギターを鳴らし、唯一無二の存在感でオーディエンスを魅了する。そして林幸治(B)の重厚感あるベースと吉田佳史(Dr)によるワイルドなドラミングと共に爆走。疾走感溢れる骨太ギターロックからデビュー曲”Raspberry”に代表されるディスコまで、デビュー当時から一貫して崩さなかった姿勢は、トライセラ流の成熟されたロックン・ロールとなり盛大に響き渡る。

和田は、コール&レスポンスやハンドクラップを積極的にオーディエンスに求め、ライヴの舵を取ってゆく。林も手が空けばハンドクラップをしたり、吉田もスティック握る手を振り上げフロアに合図を送ったりと、客席とのコミュニケーションを何よりも大切にしている。それはMCでも言えることで、和田の軽妙なトークに会場が沸くと、さらにタイミング良く吉田が絡み、再び会場は爆笑の渦。そんな2人を止めようとしない物静な林なのだが、何か話題を降られ話し始めると、笑いを取る確率はほぼ100%(笑)。基本的に3人ともサービス精神旺盛な性格なのだろう。細部にまで拘り抜いた、お客さんを1人残らず楽しませようとする「パフォーマンス力」のレベルはかなり高い。

そんなトライセラにも、数年前には存続危機が訪れていた事もある。バンドを長く続けていく上での苦労やネガティブなものをステージ上では曝け出すことはないが、過去を乗り越えファーストアルバムの再現ライヴを行ったことは、リスナー以上の感慨深さが彼らにはあったと思う。今回の見事なステージは、困難な時代を経たことで磨かれた賜物であり、だからこそ今のトライセラをより輝かせ、私達の目には魅力的に映るのだろう。

そして後攻GRAPEVINE。

ファーストアルバム『退屈の花』の1曲目”鳥”からライヴはスタートした。18年前(2016年当時)よりも柔らかくなった田中和将(Vo&G)の歌声と、落ち着いた物腰で鳴らされるあたたかなサウンドが響き渡ると、会場一体が多幸感でゆったりと包み込まれていく。まるで古いダイアリーを1ページ1ページ読み返すような丁寧な演奏が続き、MCもほどほどに黙々と演奏するメンバー。しかし次第に最近のライヴにはない独特な空気が広がり始める。

田中もMCで話していたが『退屈の花』は、当時の自分達を大人っぽく見せようとして作られたアルバムである。ブラックミュージックやルーツロックを主軸とする渋い趣味嗜好の楽曲が連なっているが、若者らしい視点で田中が綴るまだまだ青い歌詞からは、彼らが生きた1998年が色濃く残り、過去作品の中でも群を抜いてノスタルジー色が強いという一面もある。

現在バインはオリジナルメンバーである田中、西川弘剛(G)、亀井亨(Dr)の3人とサポートメンバーの金戸覚(B)、高野勲(Key)が加わった5人編成で活動しているが、彼らはステージ上にかつてのメンバー西原誠(B)の気配を感じさせる「4人のサウンド」として完全に成立させてしまっていた。実際は、色々と小細工を仕掛けていたことを後日確認したが、当時の音作りやアレンジを新たに塗り返すことなく、かなりの割合で似せて再現しているのではないかと思うほどに、初回に観た衝撃を暫く忘れることができなかった。つまり、それを再現できたことは、大人っぽく見せようとしていたアルバムをバンドは追い越すことができたからで、ラストの”熱の花”では、それまでノスタルジー一色だった客席を強引にも1998年から2016年へと引き戻すような凄まじい轟音を放ったまま、メンバーはステージを去ったのだが…観ていた側としては少し頭の中を整理する時間が欲しいくらい、いわゆる混乱状態に陥ってしまった。 


デビュー当時、バインとトライセラは「陰のバンド」と「陽のバンド」として比較されていたという。とは言え2組の最新アルバムを聴いてみても、相変わらずバインは「陰」でトライセラは「陽」。ライヴとなれば、その世界を更に深化させたものとなり、実際に立て続けにライヴを観ても、目や耳でわかる共通項はそんなに無く、本来この関係性はただの『同期』と呼ぶのかもしれない。しかし、バインとトライセラの場合、我が道を貫き前進してきたことによって独自のスタイルを創り上げた『同志』であり、そこに絶対的な自信があることを理解し合える大切な存在なのだ。メンバー総出演で行われたアンコールの最後に、田中が「是非、和田唱に歌ってもらいたい」とのことでポール・マッカートニーの名曲”Maybe I'm Amazed”が披露されたことがその象徴と言えるだろう。ロックン・ロールへの敬愛に溢れる壮大なバラードには、互いの肩を叩き合うような労いを感じ、また、長くバンドを聴いてくれているファンへの感謝や、同じ時代を生きる音楽仲間への激励とも受け取れた。

バンドを長年続けてきたことで得られた喜びや楽しさをファンと一緒に分かち合う、祝福感に満ちた、とても幸せな夜だった。どちらのバンドにも危機は訪れているし、当然今だって背中合わせである。しかし、彼らは乗り越え、地道ながらも確実に未来への歩みを止めなかった。例えば、その理由を訪ねてみたとしても「バンドしか、音楽しかなかったからだ」とあっさり返されそうだけど、こんなシンプルな答えが似合うバンド、そうそういないだろう。

そして、2017年。バインとトライセラは遂にデビュー20周年を迎えた。

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# by musicorin-nirock | 2017-06-04 10:00 | LIVE | Comments(0)

4/2 NICO Touches the Walls TOUR 2017 "Fighting NICO"@東京NHKホール LIVE REROPT

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東京・渋谷にあるNHKホールで開催されたNICO Touches the Walls TOUR 2017 Fighting NICO”(以下、Fighting NICOツアー)に参加するのは、これで回目になる。ホール公演を観るのはなんと回目で、まぁ行き過ぎだよなと苦笑いしつつも、何度も観たくなるくらい、これまで観てきたニコのどのツアーやワンマンライヴよりも、Fighting NICOツアーを私は魅力的に感じている。そしてこの日は少し特別だった。参加したホール公演のうち唯一取れた階席。視線の先には、ヴォーカルマイクが凛とステージに立っていた。

SEが突然鳴り止むと場内は暗転し、赤いレーザーの光が客席に放たれ、バックスクリーンにはイラストが浮かび上がる。このオープニングは過去回ホールの上階席から見下ろしてきたが、階席から眺めていると、立体的な光の空間の中にいる感覚に陥り、宇宙系アトラクション乗車前みたいなワクワク感でいっぱいになった。

今回のFighting NICO ツアーのホール公演では、オープニング以外でもかなり凝った演出が施されている。音に合わせて照明やレーザーを駆使し、一つの世界観を創造することは、かつて光村龍哉(Vo&G)が「やりたい」とTwitterで呟いていた『ロックオペラ』に到達するまでの階段を着実に上っている証拠だろう。

颯爽とメンバーが登場し、光村が鳴らすサイレンが反響する未発表の“新曲”でいきなりライヴはスタート。“チェインリアクション”、“そのTAXI,160km/h”とノンストップで曲が続く。坂倉心悟(B)のソリッドなベースラインを強調させたイントロから、光村がセクシーな歌声を聴かせる大人な姿へと変貌した“TAXI~”の登場には当然のように大歓声が上がり、ニコの初期楽曲が未だ強い支持を得ていることを実感できた。しかし、原曲にほぼ近いアレンジの“バイシクル”が投下され、サポートメンバー浅野尚志(Key,Vn,G)の鍵盤が加わったことで、一層軽やかな“手をたたけ”では、会場が一気に明るく開放感で溢れ返り、前半のピークと言い切れるほどに、とても感動的だった。

再びシングル曲である“Diver”と“夢1号”によって「孤独と夜」の世界が広がり、浅野のヴァイオリン投入により壮大な世界を描いた“GUERNICA”は演奏時間が10分以上あっただろうか。そして、この日唯一のバラードナンバー“Aurora Prelude)”はオーロラカラーの美しいレーザー演出と共に披露され古村大介Gのエフェクトを掛け浮遊感を与えたギターストロークと対馬祥太郎(Dr)の叩くスネアを軸にアレンジを再構築させた“TOKYO Dreamerへ。基本的に曲と曲の間を繋げ、空白を作らない構成になっているため、ステージに吸い込まれるよう、ただただ見入ってしまう。

…と、ここで改めてセットリストを振り返ってみると、オープニングは“新曲”→“チェインリアクション”→“TAXI~”でまずは攻めの姿勢を見せ、ニコの顔とも言える定番曲“バイシクル”→“手をたたけ”へと続き、“Diver”→“夢1号”という「孤独と夜」を歌うシングルを投下。さらにコアな部分に突っ込むようGUERNICA”を登場させて、“Aurora Prelude)”→“TOKYO Dreamer”によって明るく、開放へと導く流れになっている。セトリの半数がシングル曲で構成され、残りが新曲とレア曲なのだが、元来ニコが任せ持つ2面性、つまり、バンドのマニアックな側面と王道が交互にアプローチできており、バランス良く耳へと届く仕組みが完成されている

かつてニコは「孤独と夜」のバンドと言われていたが、今では「勇気と愛」という対極にあるもの歌うようになり、音楽性に関しては「メインストリーム」と「オルタナティヴ」を行き来する、稀にないバンドである。ゆえに、例えば二コをあまり知らない人が、初めて彼らのライヴを観たとき、その内容がどちらかに偏っていたら、確実に勘違いだけで終わってしまう。私はそれを危惧しているが、何よりもまずニコ自身がステージ上で、その2つの顔を堂々と見せていかなければ、リスナーへの説得力は(厳しいことを言うようだが)生まれない。しかし、Fighting NICO ツアーではこの面性が偏ることなくアプローチできており、メンバーも分け隔てることなく、自然体でパフォーマンスができている。これはセトリ前半に限ったことではないので、この2面性をポイントに於いて、以下後半部分も読み進めていって欲しい。何より、これが冒頭で述べたFighting NICO ツアーを魅力的だと感じる、私なりの理由なのだ。

光のカラーグラデーションをバックに光村・古村・対馬のコーラスが美しく響き渡った“夢号”。確かこのコーラス部分は英ロックバンド・10ccにインスパイアされたものだと音楽雑誌で読み知ったが、「10cc1020の子達のほどんどは知らんやろ」とツッコミを入れたことを覚えている。しかし洋楽からヒントを得て、自分たちのサウンドに積極的に反映させる性格は、今やニコの強みであり、プログレっぽいGUERNICA”や、「亡きチャック・ベリーに捧げる」“ブギウギルティ”についても同じ事が言えるが、先にも述べた通りニコはメインストリームで戦うロックバンドが鳴らす音らしくない音も、平気で演奏するバンドだ。よって、再び浅野によるヴァイオリンが入ったことでアイリッシュ感が増した“天地ガエシ”は、元々オーガニックなダンスナンバーとして作られた曲だけに、その本質が開花されたのか、とにかく聴いてて気持ちが良い。

ニコは曲で好き放題遊んじゃうバンドであり、そこにもう人加わってしまえばさらに遊び心に拍車が掛かる。そんな彼らのMAX好き放題が形になった曲が“MOROHA IROHA”だろう。光村の身振り手振りしまくるヴォーカルは見応えがあるし、CD音源には収録されていない対馬の豪快なドラムソロも、曲中に大きな拍手も上がるほどに聴き応えも抜群だ。

それでも、ここでストレートな一球“Broken Youth”が投げられると、リベンジを掛けた二度目の日本武道館公演の記憶が一気に蘇ってしまい、“渦と渦”のイントロが聴こえたときには、どう抗おうとも、延期になってしまった初の大阪城ホールワンマン公演を、無事昨年5月に成し遂げるまでの日々が思い浮かんできてしまう。ニコは様々な時代を歩んできたが、どちらかと言えば厳しい時を長く生きたバンドに思う。しかし、どんな状況にいたとしても、ステージに立つ人から伝わってきたことは、音楽が、バンドが、ニコが好きなんだという事実。己に降りかかる出来事を何一つ無駄にない、いや、そうは絶対にさせないで巻き返そうとする泥臭い姿は、それがテレビアニメのテーマソングだったとしても、ニコは確実にぶち込む。何食わぬ顔をして生き様を刻みつける。そうやって自らの王道をニコは築き上げてきたのだ。

そして、いよいよ本編ラストであるが、なんとここでも未発表の“新曲”が登場。個人的に過去20年近く色々なロックバンド/シンガーのライヴを観てきたが、こんなの初めての経験である。また、この新曲が曲者だった。ギターのイントロとフックのあるサビの耳に張り付くようなメロディと、間奏で光村の出す指カウントにドキドキ&ニヤニヤしている後ろ4人の表情が忘れられない。

***

ツアーTシャツに着替えたメンバーが再びステージ登場し、古村は自分のスマートフォンを、立ち位置の左手に設置している。アンコール曲目は“THE BUNGY”。一番の見所である白熱のギター古村VSヴァイオリン浅野バトルは、人が交互に見せた「やった!」「やられた!」の表情に当然観てるこちらも熱くなり、そこからの古村ギターソロでは、膝立ちでステージすれすれまで滑り込んでからのプレイ。彼は前々から動くギタリストだとは思っていたが、近年さらに開放的になり、それがすごく良い!

曲が終わると、来る5月6日に彼らの地元、千葉県・浦安市文化会館での追加公演が発表された。今回アンコールのMCで光村は、『好きなことをすること』について話してきたが、凱旋公演の決定を報告した後だからこそ、彼の言葉にも一層の力が込められていたように感じた。


今、好きなことが仕事にできて幸せだ。
しかし、好きなことを仕事にするとは、毎日が戦いだ────

音楽の世界で生きていくために、どれほどの努力と根性が必要であるかを、ニコや他のバンドを追い続けていく中で、 散々思い知らされてきたが、そういう自分の立場を面と向かってリスナーに話すことは、光村の場合、今までなかったはずだ。しかもこの日は自分のような立場にはなれない、好きなことだけをやれない人に向けてのエールも贈られた。「困ったことがあったら、いつでも、俺らの背中を観に来て」という極めつけの一言とともに。

実際、好きなことをだけをやれない、好きなことが仕事にできない立場にいる人の方が圧倒的に多いと思う。かく言う私もその人で、いつからか「音楽ライターになりたい」と思ったはいいけれど、まんまと理想と現実に挟まれチャンスを自ら逃してしまったことがある。「潔く諦めたほうが幸せなのかもしれない」と肩を落としたこともある。けれど、Fighting NICO ツアーが始まってからの約1か月半の間に、夢を諦める必要などちっともなくて、自分に正直に生きることが大切だと気付かされた。「やっぱり私は目指している場所に行きたいんだ」という本心とも改めて向き合えた。それは、光村のMCに背中を押されたことも大きいが、何より自分たちのやりたい音楽を、無理なくやれているニコの姿がいつになく眩しかったからだ。

ニコは険しい道のりのなかで、人一倍背伸びをし、散々小難しいことをやってきた。しかし、今回のFighting NICO ツアーでは、そんな彼らの奮闘劇が確実に肯定されている。自分たちの理想を形にしている今のニコは、最高にかっこいいのだ。


さあ 何度もダメになったって
ゼロから始めるさ 
正解はもう辞書になくたって 
戦うだけなのさ      
         ──“ストラト”より

“ストラト”が終わり、アンコールラストの“マシ・マシ”では、<きみしだい>を<自分次第>に変え、声高らかに光村は歌う。その言葉もバンドサウンドも、いつになく胸に深く響いた。最後の曲は、聴けば聴くほど私自身との距離が縮まっているような気がして、ライヴが終わってからも毎日聴いている御守りのような曲になった。


***

私は2014年2月にニコが開催した『カベニミミ』を観たことがきっかけで、音楽ライターという夢をみつけ、そのおかげで、当時抱えていた孤独を解放できた。だからこそ、バンドを追うだけの立場にいるのではなくて、自分自身をしっかり生きようと奮い立たされ結果、ブログを書いたり、原稿をコンテストに応募したりと年甲斐もなく続けていた。けれど、思うような結果をしばらく出せていなかった。また、若い才能を知ってしまうと、自分は「時代遅れ」なような気もしてきて、さらに落ち込んでしまい、最近はもうずっとずっとその繰り返しだった。

それでも、こんな日々もいつかきっと形になるのだと信じよう。

数年後、ふと今を振り返ったときに「こんな頃もあったよなぁ」と笑えるようになりたい。その時、例え自分がどんな状況にいたとしても、出来る限りの努力をしてきた事実さえあれば、きっと後悔もしないはず。そして、ニコと張り合えるくらい、私も自分をアップデートできていたら最高だな。それを確かめるためにも、彼らがステージに立ち続けてくれる限り、私はニコのライヴを観に行こう。


セットリスト 
新曲 
2 チェインリアクション 
3 そのTAXI,160km/h 
4 バイシクル 
5 手をたたけ 
Diver
夢1号 
GUERNICA 
AuroraPrelude
10 TOKYO Dreamer
11 ブギウギルティ 
12 天地ガエシ
13 MOROHA IROHA 
14 Broken Youth
15 渦と渦 
16 新曲
アンコール
THE BUNGY
2 ストラト 
3 マシ・マシ




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# by musicorin-nirock | 2017-05-14 00:41 | LIVE | Comments(0)

3/5 NICO Touches the Walls TOUR 2017 ”Fighting NICO” @ 愛知県芸術劇場大ホール

以下、ネタバレ込みの内容になっていますので、ご注意ください。




2月21日、HEAVEN'S ROCKさいたま新都心VJ-3公演を皮切りに始まったNICO Touches the Walls TOUR 2017 ”Fighting NICO”。

私が訪れた愛知県芸術劇場はツアー初のホール公演であり、私にとってのツアー初日。この日を迎えるまでは、セットリストにも、ライヴ内容にもなるべく触れないように過ごしてきた。

昨年のアルバム『勇気も愛もないなんて』のリリースツアーは、「孤独と夜」のバンドから「勇気と愛」が日本一似合うバンドになるとの宣言から始まり、その覚悟を決めた光村龍哉(Vo&G)の歌がドカン!と真ん中にあった。ツアーに出た数か月間で起きた光村の覚醒こそ、勇気と愛を問い続けたことによって、光村個人だけではなくて、バンドで出した一つの結果だと思う。

前置きが長くなってしまったが、大事なことなので記載する。なぜなら、それを経ての”Fighting NICO”ツアーであるからだ。

この日は、ニコのプロデューサーとしてレコーディングにも参加している浅野尚志氏(Key,Vn,Gt)がサポートメンバーとして加わった。彼らの強みでもあるアレンジ力を5人で駆使し、さらにホールならではの演出が+αされたことで、曲の世界を深く掘り下げながら豊かに描き続けていく。

しかし、ステージに立つメンバーは、俄然、
挑発的だった。潔く、直球ストレートボールを投げつけてくるニコを目の前に、私は数年前に観たあるライヴの衝撃と、とても近いものを感じた。それは「ロックンロール・ナイト」と名付けられた2013年開催の1125の日ライブである。ただ、一つだけ当時とは大きな違いがあった。

今のニコは「ロックバンドとして自分達に何ができるのか?」というステージにいる。
そして「いかにバンドで良いグルーヴ感を生み出していくか、音楽のみで一体感を作り上げていくか」に重点を置き、ライヴ空間を創り上げている。ニコはもう、かつてのようにただガムシャラには進めないことをわかっているのだ。

ライヴ中、「『NICO Touches the Walls』というロックオペラも作り上げてみたい」という昨年1月にあった光村のtweetを思い出したのだが、例えば自分達が描く夢を叶えるため、その第一歩として昨年「勇気とは?愛とは?」と、自らに問いかけたのならば、今回のツアーでニコが提示していくことは、ロックバンドの「生き様」だと思う。今まで以上に濃縮なライヴステージからは、そんな新たなニコの覚悟が容赦なく伝わった。

今年でメジャー10年目という節目を迎えるニコの全てが、2017年”Fighting NICO”ツアーで、遂に全47都道府県に刻まれる。そして間違いなく、夢へと近づくため一歩を大きく踏み出すことになるだろう。だから、記念すべき今回のツアーは決して見逃してはならないのだ。


More(以下盛大なネタバレ込みのレポートになるので見たい方のみクリックして下さい)
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# by musicorin-nirock | 2017-03-07 22:07 | LIVE | Comments(0)

Nothing's Carved In Stone 『Existence』を聴いて


        

そもそもNothing's Carved In Stone は出発地点から当たり前のように「かっこいい」バンドだった。2008年に活動休止したELLEGARDENのギター・生形真一が始めた新バンド。ベースはストレイテナーの日向秀和、ドラムはFULLARMORの大喜多崇規という錚々たる面子に、その実力も窺える3人がバンドのフロントマンとして迎え入れたのがABSTRACT MASH(現在活動休止中)のヴォーカル・ギター村松拓である。
村松は一言で言うと、かなりのひょうきん者だ。しかし、一度ステージに上がるとボロボロと化けの皮がはがれ落ち、野心剥き出しの情熱的な歌声を放てば、ライヴ終盤を迎える頃になると、恐ろしいほど覚醒している男である。彼が生形・日向・大喜多に対しコンプレックスを持っていたことは、雑誌の個別インタビューで語られているが、今では彼の存在がバンドやリスナーに莫大な影響力を与えていることは言うまでも無い。

メジャーからインディーズへと返り咲いた2015年にリリースされた前作『MAZE』以降、NCISのバンドサウンドはやんちゃになった。とにかく自由奔放で、その姿はまさに破天荒な暴れ馬。そして今作『Existence』では更に個性が強くなった4者4様のプレイスタイルで、メンバーは容赦なく大爆走当たり前にのようにかっこいいバンドとしてNCISは誕生し、そのかっこよさは衰えることなく、バンドの進化とともに磨かれている。ところが「今のNCISは私達リスナーにある硬派なイメージを、自ら壊しにかかっているのではないか?」と『Existence』を初めて聴き終えた後、私はふと思ったのだ。

活動初期の頃は英語一辺の歌詞であったが、メンバーは日本語で歌詞を書き、村松が歌うようになった。そして、より人間味を帯びた楽曲が次々と誕生し(例えば”きらめきの花”という曲が生まれたことがそうだが)ライヴで観客とコミュニケートしていく中で、彼らにとって歌”の在り方が大きく変わった。『Existence』のラストにはゲストミュージシャンにヒイズミマサユ機(Key)を迎えたバラードナンバー”Adventures”が選ばれているのだが、理由はここに繋がるだろう。つまり今作『Existence』は明らかにNCISにとって大きな節目になるアルバムであり、また、バンド史上多彩な楽曲が揃っている視点からみると、NCIS自身が”Adventures”(冒険者)であり続けることを決意表明でもあるのだ。

今年でバンド結成9年目を迎えるが、いつだってエキサイティングなステージを展開し、胸の中にある熱を確かめさせてくれるNCISの核(コア)が『Existence』には詰まっている。ドクドクと鳴る4人の鼓動を是非手に取り、身体全部で感じて欲しい。

        


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# by musicorin-nirock | 2017-02-25 21:12 | MUSIC | Comments(0)

2017 / NICO Touches the Walls

私がNICO Touches the Wallsを初めて観たのは、2006年4月。GRAPEVINE目当てで行ったJAPAN CIRCUITというイベントだった。

この時にオープニングアクトを務めていたのがニコ。オープニングアクトということは所謂20代前半の若手バンドだろうし、「NICO Touches the Walls」というバンド名からは、演奏も雰囲気もキャピキャピとしたうるさいだけのバンドだろうと想像していた。だけど、いざライヴが始まると、それをまんまと覆された。若者らしからぬ渋い曲ばかりを畳み掛ける姿に拍子抜け&好印象を持ったけれど、ライヴ後に物販でCDを買わなかったし、バンドについて調べて後日ライヴに行くわけでもなかった。ただ妙に長いバンド名だけは印象的で忘れられずにいた。

それから数年経ったある日、テレビで放映されていた有名音楽プロデューサーのドキュメンタリー番組を観ていたら、あるバンドのレコーディング風景が流れている。

「ああ!私このバンドを知っているわ」。

それがニコとの再会だ。その翌日だったか忘れてしまったけれどCD SHOPに行き、店内の目立つ場所に大々的に展開されていた彼らの一枚のアルバムを手に取る。「聴いてみよう」という好奇心と期待しかなかったから、試聴もしないで、何のためらい無くレジへと向かった。ジャケ買いや、思いつきで買ったCDが失敗だった経験は数知れず。でも、この時買った『オーロラ』は違った。”かけら~総ての想いたちへ~”は唯一知ってたが、それ以上に”ホログラム”のみずみずしさが気に入って、”芽”の歌詞には胸を打たれ、”トマト”はただただ切なくて泣けた。かつて、ライヴで聴いた楽曲とはまるで別世界だったけど、特に違和感も何も感じないくらい、とても好きなアルバムになった。

2012年11月25日。この日もGRAPEVINE目当てで行くことにした「1125の日ライブ」で、6年ぶりにニコのライヴを観た。すると終演後にはしっかりハマってしまい、翌日には早速直近のライヴ情報とディスコグラフィーを調べ始めた。

インディーズデビュー直後のライヴを観ていたことは覚えていたし、それ以降のニコの軌跡を後追いで知れば知るだけに「あの時ちゃんと追っかけていたら良かったのかな・・・」と思ったことも一度じゃない。でも、偶然にもニコが大きく変わろうとする直前のタイミング(2013年の「1125の日ライブ」で日本武道館公演へのリベンジ宣言をする前)で歩み寄り、バンドと共に駆け抜ける時間の中で、確実に私は生きる力を取り戻せた事を思うと、この巡り合わせに感謝しなければ…と常に思う。

ニコは決して器用なバンドではない。いつだって遠回りだし、なんだかベタで泥臭い。でも、だからこそ彼らの悔しさも喜びも共感できたのだと言い切れるのは、なぜなら、日々生き辛さを感じてしまいがちな私自身が、決して器用な人間ではないからだ。<わかってるんだろ?/どんな答えも/僕が出していくこと/気付いてるんだろ?/どんな弱音も/僕の声だ>。私がニコの楽曲の中で一番好きな曲、"Mr.Echo"の一節である。開き直りでも諦めでもない、弱音だって「僕の声」だと認められたとき、人は本当に強くなれるのだと思うし、何よりステージ上で彼らはそれを体現し続けていた。

昨年、アルバム『勇気も愛もないなんて』発表以降、明るい歌を歌うニコの変化には戸惑っていた。彼らを取り巻く諸々(ぶっちゃけ売り出し方とか)に対して小言をぼやいては、ライヴに行く理由も正直わからなくなり、「これを潮時と言うのか・・・」と苦虫を踏みつぶしたような気持ちになった。それでもライヴ会場に行けば、いつだって「良い音楽」に溢れていたから、どうしようもなく心揺さぶられてしまう私もいて、だから余計にニコのライヴについて言葉に残したくなった。

私が目で観て耳で聴いてきた全てから生まれた感動に比べたら、私の小さな反抗心は、なんだかとってもバカバカしい。けれど私はニコの真実を伝えていくことをしなければ、このもやもやした気持ちは消えない。それを内輪だけで共有するのではなくて、外野にいる人達も巻き込まなければ意味が無い。5月の大阪城ホールのライヴ、オーラスの”手をたたけ”で涙が止まらなかったのは、私が戦うべき場所や相手も間違えていたと気付いたからだ。微力でしかないけれど、それでも物書きの端くれとして生きているんだから、それが勝手に私に託された役目と思って、これからもニコ見届けていきたいと思った。

ニコの音楽性は、過去と今とで大きく違う。よって、様々な意見がリスナー間で引っ切り無しに飛び交うバンドであるが、インディースデビューから今日までの長い軌跡や、一曲一曲、楽曲の背景を読み解いていけば、今のモードに転換したことが本当に自然であったと納得ができる。

ここで最新シングル”マシ・マシ”を例として挙げてみる。

この”マシ・マシ”という曲のタイトルには「明日が今日より少しでもマシになりますように」という願いが込められ、その由来にはマーヴィン・ゲイの”Mercy Mercy Me”とローリング・ストーンズの”Mercy Mercy”の存在があり、”Mercy”を日本語に訳すると「慈悲」という仏語で、「人を憐み、楽を与え、苦しみを取り除くこと」を意味する。ゆったりとしたビートを刻むグルーヴ重視のバンドサウンドと(ライヴではさらに原型が崩される)ソウルフルな光村の歌声からも、洋楽へのリスペクトを感じる事ができる。そして、素っ裸な歌詞には親近感が湧き、<あとはきみしだい>というサビの言葉は「きみ=リスナー」と置き換えも可能で強いメッセージ力があるが、実は「きみ=光村自身」という自戒の意味も込められている。

一聴すれば誰もがポップミュージックという概念に当てはまると思うだろうし、私自身もそう感じたが、裏を探ればこの曲はニコ流カウンターミュージックであり、今の音楽シーンとそこに立つ自分達へ彼らは中指立てている。開けたとても明るい曲だが、BPMは遅めで今のトレンドとは真逆。しかし、自然とハンドクラップしたくなるノリの良さが強い分、フェスが中心に回っているシーンでどう受け入れられるか、大きな賭けに出たとも言える。しかも、テレビアニメのEDテーマとして起用されたわけで、自動的に大勢に人の耳に届くことにも狙いがあるに違いない。

そんな”マシ・マシ”が生まれたことは、バンドのソングライターである光村が長年抱えていた苦悩から解放された証であり、ようやく手に入れた自由の中で生まれる音が、今後私達の元へと届く約束のようなものである。そして、音楽人として生きる新たな覚悟が生まれたからこそ、これからニコは大きく変わっていくだろうし、本来、何かを表現する者は、どんどん変わるべきなのかもしれないと、彼を見ていて気付かされた。元々の不器用さであったり捻くれ者の素質は変わらずくっついて来てしまうだろうけど、ニコのめっきり明るさ満点に聞こえる歌の奥に潜む影にこそ人間らしさを感じるし、これこそニコの一番の魅力であり、かつ今のシーンに枯渇しているモノだと思う。

2017年、2月12日に開催されるのファンクラブイベント『my Funny valentine』がニコの今年初ライヴであり、そしてすぐに全国ツアーも始まる。今年がどんな1年になるのか、色々と期待しているけれど、そんなものいとも簡単に裏切るくらいの、大飛躍の年になることを願っている。

         

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# by musicorin-nirock | 2017-02-11 12:17 | COLUMN | Comments(0)

11/25 NICO Touches the Walls @東京・赤坂BLITZ「1125/2016」





2006年、当時インディーズで活動していたNICO Touches the Wallsは2枚のミニアルバムを発売した。どちらも未だファンの間では人気の高いアルバムであり『Walls Is Beginning』は通称青盤、『runova✕handover』は赤盤と呼ばれ、鋭いジャックナイフを世間の汚さに向けているが、自堕落な自身を嘲笑う狂気性も存在する。そして、その根本にあるものが若者らしい焦燥や、彼らに付きまとう孤独感。しかし、ここで赤盤に収録されている”壁”の歌詞を一部取り上げてみる。
ー理想を追い 現実を憂い その間に揺れながら
 わずかなその光を信じてみたいのさ
ー今日も明日も睨み合いで生きる
 そんな未来を僕ら背負え
ーいくら遮ってもまだ見ぬ光を きっと手に入れる
 遮っても 遮っても... 遮ってるもの
 だから遮ってるもの 全部越えていく

私がこの曲から感じたものが、目の前を壁に遮られたとしても、再び光を求めようとする貪欲さだ。当時の楽曲からは殆ど表面化させていない気概に満ちた姿が、言葉の裏から見えてくる。ならば、別の場所から光を当てて、若者らしいフレッシュさで歌うことだってできるだろう。けれど、内向的な捻くれ者は孤独に生きる道を選んだ。それがニコの始まりだった。




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それから10年という月日が流れた。

毎年11月25日に開催している1125(イイニコ)の日ライブ「1125/2016」のテーマが「青盤と赤盤の再解釈」、つまり2枚のミニアルバムの再現ライヴだとわかった時、私は正直戸惑った。バンドのバックグラウンドを知ることは、バンドを長く聴き続けていく上で重要なことはわかっている。けれど、近年バンドのモードはめっきり明るいものとなり、ステージから伝わる充実感や風通しの良さからは、もう過去を掘り起こす必要性は皆無だと思っていた。・・・それだけではない。彼らは、2013年11月25日、そう3年前の1125の日ライヴで宣言した2度目の日本武道館へのリベンジ以降、散々原点を見つめ直す作業を繰り返してきたのである。だからこそ辿り着いた現在地では、インディーズの回顧は似合わない。歌うべき歌はもっと他にあるだろう。なのにどうして?と不穏が気持ちに取り憑かれていた。


どうしてニコは「青盤と赤盤の再解釈」をテーマにしたのだろうか?

先に理由を明かてしまうと、2枚のミニアルバムが世に放たれてからちょうど10年。当時とは全くモードの違う音楽をやっている今の自分達が、インディーズ時代の曲を演奏したらどんな感じになるのか?それを確かめる如く、楽曲が誕生したスタジオのある街、東京・赤坂で再び鳴らそうという試みだ。

ステージの上でそう説明する光村龍哉(Vo&G)は、今回のテーマに特に深い意味合いを持たせているような素振りを見せなかった。



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2016年11月25日。

光村が「ようこそ」とフロアに声を掛けると、古村大介(G)が奏でる流麗なギターが鳴り響き、光村が歌い出したのは”行方”。ジャジーなギターと坂倉心悟が爪弾く低音がグルーヴを作り、一瞬にしてオーディエンスを魅了させ、その直後に登場した”壁”のドラマチックな情景に私は言葉を見失う。自らの宿命を受け入れ、バンドと共に歳を重ねてきただけの力強さが、この曲には宿っていた。木漏れ日のように温かく会場を包み込んだミドルバラード”梨の花”の慕情感や、若き吉田拓郎を思わせるフォーキーな”僕がいなくても地球はまわっている”の郷愁からは、10年前のニコの姿を見ているよう。ライヴは始まったばかりというのに、過去と現在が入り交じるステージを前にしたら、脳内が混乱し始める。

淡々と綴られる行き場のない喪失感を、無数の砂に例えた”幾那由他の砂に成る”は、最小限の音数で描かれた。ステージから漂うひんやりとした緊張感をフロアの隅々までに行き渡らせると、更にオーディエンスを静寂の地に潜り込ませたのが”プレイヤ”である。対馬祥太郎(Dr)が刻むエキゾチックなビートの上では優美なベースラインが舞い、曲のクライマックスにかけて波打つギターアンサンブル。その上に重なる光村のロングトーンは「闇から抜け出したい」という救済の声にも聞こえた―――それにしても、聴いてて呆然としてしまうほどの、若者らしからぬ音楽嗜好なのである。直後のMCでは光村曰く、当時は渋いバンドばかりから対バンを申し込まれていたとか。すると、対馬「ハタチだよ」古村「怖いよね」坂倉「怖いモノ知らずだったよね」と皆が本音を零していく。

20歳(ハタチ)になれば誰もが「大人」と認められ、世間からの視線も変わる。しかし(私自身もそうであったが)実際は、まだ未熟さ残る年代だ。だからこそ、彼らは脆い自分を隠すために、敢えて暗くて渋いサウンドに身を投影していったのではないだろうか?そんな当時のニコの象徴と言うべき曲が”病気”である。全身に伸し掛かるブルージーなバンドサウンドからは昭和歌謡の匂いが漂い、聴けば瞬時にドキッとさせられる<父ちゃんは病気だから>と光村は吐き捨てるように歌う。ただ曲の途中で、歌・演奏ともにアップデートさせている今のニコに対し、少し居心地の悪さを感じてしまったが、更に身を痛めつけるよう”3年目の頭痛薬”を畳み掛けると、ここから怒濤の展開が始まった。”アボガド”で勢い良くフロアに噛み付けば、集中力の塊と化していたオーディエンスのリミッターが完全に破壊され、”そのTAXI,160km/h”の登場と共に突き上がる拳と、沸き起こるシンガロング。極めつけは”泥んこドビー”だ。♪ドドパッパーとイントロのリズムに合わせたハンドクラップも響く中で光村が<転がせろ/俺を転がせろ>と歌いながらフロアにダイブ!衝動的で捻くれていて、どこか危険な空気を曝す。それがインディース時代のニコであると、当時を回想させたのだ。

ところが、今宵、赤坂の地に捧げられた”image training”が、ひときわ輝きを放っていた。ライブも後半に突入し、ようやく登場した唯一のポップナンバーが、逆に、明るさを拒む当時のニコを映し出す。しかし今では、スタジオからの練習帰りの光景を歌う、曲本来のみずみずしさも素直さも、何一つためらうことなく鳴らしていた。ラストの”雨のブルース”は、まるで光村の独白にも聞こえる<幸せになろう/誰より幸せに>という言葉が、オーディエンス1人1人に届けられたことで、過去と現在、その先にある未来を繋ぎ止める。そんな瞬間が訪れる、幸福なエンディングだった。

若干20,21歳で早熟な2枚のミニアルバムを完成させたニコが、当時から非常の潜在能力の高いバンドであったことを私は断言できる。けれど、本来ニコは並々ならぬ努力をしながら経験を積み力を付けてきたバンドであり、その全てを物語っていたのがアンコールの”マシ・マシ”。これが本当に素晴らしかった。シンプルな歌詞から沸き立つポジティヴなエネルギーに、説得力という言葉以上の絶対的な力が感じられ、自力で切り開いた現在地は「ここだ」とニコは指し示したのである。そして、年に一度しか聴けない”1125のテーマ”が始まると、誰もがこの瞬間を待ち侘びていたかのような盛大な祝福感が溢れ出した。その時、今回のライブはメンバーはもちろんだが、会場に集まった全ての人にとって、かなり特殊なライヴであったことに改めて気付かされたのだ。



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私にとって「1125/2016」は通常のニコのライブよりも、かなり労力を強いられた時間だった。ノスタルジーを味わうシーンもあったが、圧倒的に2016年度版の青盤と赤盤を堪能したという気持ちが強く、特に”image training”と”雨のブルース”はかなり胸に迫るものがあった。曲の本質部分が解放されたことで、明るさや幸せを歌う自分自身を肯定出来たのではないかと思う。また、重ねた年齢やキャリアに比例し、歌や演奏が強靭になったからこそ、今のニコと内面的脆さが魅力の曲との間に多少違和感を感じたが、それすら自然なことであると納得できるくらい、10年という時の流れを大いに体感できた。

「やってみたい」という好奇心から始まったライブとは言え、蘇る記憶の中で得られた全てが糧になる。

青盤と赤盤を発売した翌年(2007年)、ニコはミニアルバム『How are you?』でメジャーデビューを果たし、今年で10周年を迎える。そして、彼らは一つのその時代をオーディエンスと共に確かめた後で、始まろうとしているアニバーサリーイヤーを迎えたかったのだろう。真っ暗闇の夜空の下で、孤独を歌い続けてきた時代が永遠にニコの始まりであり、過去は姿かたちを変えることなく残っていくものである。だからもう、その全てを受け入れた上で、今の自分達に一番似合う音楽を鳴らしていけばいい。そして、真っ新な気持ちで私も彼らと向き合っていきたい。




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# by musicorin-nirock | 2017-02-01 22:12 | LIVE | Comments(0)

主にNICO Touches the Walls について書いておりますが、他にはGRAPEVINE と the HIATUS が好きです。記事の無断転載、引用はご遠慮ください。


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