2016年個人的ライヴ総括「 9/13 the HIATUS @東京・新木場STUDIO COAST」

f0342667_15192998.jpg

"the HIATUS 「Hands Of Gravity Tour 2016」 STUDIO COAST公演を観て"


音の鬩ぎ合いのような激しいアンサンブルも、ただ心に寄り添い続ける極上のバラードも存在するthe HIATUS5thアルバム『Hands Of Gravity』。

前作『Keeper Of The Flame』からは、約24ケ月ぶりのアルバムリリースとなった。その間the HIATUSは最初で最後の日本武道館公演を終え、細美武士(Vo&G)はもう一つのバンドMONOEYESを始動させた。MONOEYESが始まったことで細美は自分の二面性を表現できるようになり、バランスが取れた状態で新譜づくりに挑めたことが今作の鍵であることは、人情味溢れる豊かな彼の歌声を聴けば否応なしに納得できる。しかし、細美以外のメンバーであるmasasucksG)、ウエノコウジ(B)、柏倉隆史(Dr)、伊澤一葉(Key)にとっても、彼の充実を感じる傍らで、the HIATUSとの向き合い方が大きく変化する転機になったのだろう。彼らから生まれた新しいアルバム『Hands Of Gravity』では、一つのジャンルに囚われずオルタナティヴに突き進む潔さの中で、聴く者の胸を打つ珠玉のメロディが鳴っていた。しかし、スケール感のある楽曲が並ぶ今作を聴き続けていると、これが彼らの到達点とは言い切れないような、the HIATUSとは挑戦の場であり、1人のプレイヤーとして、また音楽そのものの可能性を拡大していく場所であることを証明しているように思う。

アルバムを引っさげ開催された全国ツアー「Hands Of Gravity Tour 2016」も後半戦に入った913日。東京・新木場にあるSTUDIOCOASTに私は向かった。715日、Zepp DiverCityで行われた初日のステージを観たときは、新たな旅の始まりを迎えた幸福感を放ちながら、完成度の非常に高いステージにかなりの衝撃を受けた。ところが、約3か月に渡る旅路で一度完成させたステージを自ら壊しに掛かり、再び創造していくプロセスを彼らは繰り返してきたのだろう。バンドサウンドも、歌も、精神性も、尋常ではないほど進化を遂げていた。オープニングからエンディングまで凄まじい熱気に溢れ、現時点での集大成のような開放感と愛情があった。

この日も細美は、「今日の俺、すげぇ面倒くせぇんだけど・・・」と苦笑いしつつも、真摯にオーディエンスと向き合い続けていた。「子供の頃から嫌われ者だった」と話した細美にとって、「ライヴハウスが大切なことを全部教えてくれた」場所であり、また、唯一自分が孤独ではないことを実感できた場所。だから、自分のステージを観にライヴハウスに来てくれたオーディエンスが何よりも大切で、フロアに向けて力強い言葉を紡ぎ続けていた。その姿には、今度は自分がここ(ライヴハウス)で大切なことを教えていくのだと、その役割を担っているかのような責任感すら感じられた。

しかしそれは、今始まったことではなかった。これまでに何度も細美の立つライブハウスに居合わせてきた私は、彼の言葉に救われてきた。ただ、この日だけは、彼の想いが不思議なくらい自然と自分の中に浸透する瞬間があったのだ。

そして、きっと私だけではなくて、STUDIO COASTに集まったオーディエンスの誰もが、この日のライヴに来た理由やthe HIATUSが好きな理由と、細美の想いと通じ合えたかのような特別な瞬間を、体感したのではないかと思う。ダブルアンコールが終わったにもかかわらず、鳴りやまない拍手に引き寄せられるようメンバーがステージに登場し、トリプルアンコールが始まったことが目に見えた大きな証であるが、つまり、『Hands of Gravity』のアルバムツアーという枠組を飛び越え、theHIATUSというバンドの本質にある深い部分と繋がり合えたということだ。細美を支え、理解し続ける4人のメンバーと共に創造する、the HIATUSの革新的で独自性の強い音楽性と、彼個人の生きる信念が共鳴したことで、覚醒を呼び起こし、観る者によっては人生観が変わってしまうような音響空間を創り上げることができたのである。そんな彼らの音楽性であれば、アリーナクラスの大会場ですら簡単に呑み込むことができるはず。だが、頑なに彼らがライヴハウスに拘り続ける理由は、実はこのステージの上にあったことを、私はこの時身をもって知った。


***


私には、目の前の現実から逃げるようthe HIATUSのライヴに通い続けていた時期がある。

失恋と仕事のストレスから体調を崩し、心のバランスまで取れなくなってしまったことを、とうとう認めざるを得なかった頃、偶然LIVE DVDTHE AFTERGLOW TOUR 2012』を手に取った。彼ら以外にも好きなバンドやシンガーはいたのだが、そこで聴いた細美の歌声には、音楽を聴き始めて20年以上感じたことのないとても不思議な力があった。「どうしてこの人の歌はこんなにも胸に響くのだろう?聴いているだけで、涙が止まらなくなるのだろう?」。彼の歌声は包容力があり、誰にも知られたくない、触られたくない心の細部にまで優しく届いたのだ。

以来、私は彼らを追いかけることに必死だった。2014年に発売された『Keeper Of The Flame』は、その年の一番回数多く聴いたアルバムであり、人生のベストディスクに確実に選ぶアルバムだ。アルバムツアーは勿論、彼らが出演するフェスにも足繁く通い、生命力溢れる彼らのステージを観ては癒しを得た。そして、孤独から解放され、失いかけていた生きる喜びを私は再び感じるようになった。彼らのステージの上には笑いだけじゃなくて、時に厳しさも存在することも知った。でも、だからこそ本物の優しさと、あたたかさが存在していた。

アーティストとオーディエンスの信頼関係というものを、私はあまり信じていなかった。特にMCに関しては、ライヴを盛り上げるために必要な道具でしかないと捉え、ステージ上でのアーティストの発言なんて、たいして気にも留めていなかった。なぜなら、アーティストからしたら私なんて、オーディエンスという大勢の人間の括りでまとめられた一人である。しかし、どこまでも本気で向き合ってくれる、the HIATUSと細美に出会えたことで、私のこの考えは一変したのだ。

ところが、このSTUDIO COASTでのライヴを観終えてしばらく経つと、私は落ち込んでいた。それは、薄々気が付いていたことなのだが、私の心の奥にある問題が何も解決されていないと、遂に現実に表れてしまったからだ。ライヴはとても楽しいし、居心地の良い場所である。でも当たり前だが、彼らが私の人生を直接変えてくれるわけではない。the HIATUSと出会ってからの自分の生き方は間違っていないと思いたいが、どこか甘い考えで生きていたことは確かで、私はそれを思いっきり悔やんでしまった。

それでも、自分が次の段階へ進みたかったら、この場所から一歩踏み出さなければならない。私達はずっと同じではいられない。それは、ミュージシャンが年齢やキャリアを重ね音楽表現が変化していくように、誰にでもその瞬間は訪れるのである。

STUDIO COASTのステージの上で、細美はライヴをDVDにすることは好きではなく、「今日は会場にカメラは入れてない」と言っていた。勿論ライヴ映像をYou TubeSNSに上げることだってしない。端から見るとただの頑固者に過ぎないが、今、私はその気持ちが理解できる。この日のライヴの全てを自分の中にずっと留め、一生忘れないでいようと誓った。そして、ピンと背筋を伸ばして、生きていこうと思った。年齢とか立場とか考えだしたら、正直きりがないけれど、それでも前を向いて自分自身を生きていくことに、恥ずかしさなんて必要ないのだから。







[PR]
# by musicorin-nirock | 2017-01-07 15:45 | LIVE | Comments(0)

2016年個人的ライヴ総括

今年2016年で一番多くライヴを観たバンドはGRAPEVINE(Vocal田中さんソロステージ含む)でした。その中でもアルバム『BABEL,BABEL』を引っさげての全国ツアーは「こういうライヴがずっと観たかった!」という個人的にドンピシャなライヴで、ここ数年観てきたツアーの中でも飛び抜けて良かったです。皮肉だけどポップだし、尖っているけど愛を歌う『BABEL,BABEL』の楽曲を中心にシリアスな側面を見せつつも、突如ゴン太くんが登場したりとくすっと笑えるネタも仕込まれつつ。そういった、弛緩と緊張が繰り返されるセットリストが、いかにもバインらしかった。また今回のツアーでは本編でMCをなくしたことで、より一層豊かな音世界を描けていたように感じます。逆にアンコールで田中さんはしゃべり倒すという(笑)あとは、初期楽曲を披露してくれたのも嬉しかった。バインは洋楽的なアプローチがほとんどで、ロックバンドとは言ってもロックミュージックをだけやっているわけでもなく、トレンドよりも自らの美学を磨き、独自のスタイル構築してきたバンド。今回のツアーでは、その姿勢を貫く姿がロックバンドとしての一つの在り方であることを、まじまじと見せつけられました。特にフェス等で色々なバンドのライヴを観ながらバインを観ると、彼らは本当に希有な存在だなと強く感じます。

次点はNICO Touches the Walls。2015年11月に古村のアクシデントが起こってしまってから、光村・坂倉・対馬の3人で1125の日ライヴを開催、初の大阪城ホールワンマンライヴは来年に延期となり年末のイベントは出演キャンセル・・・からの年明け三度目の日本武道館公演「東の渦」、2016年3月にアルバム『勇気も愛もないなんて』がリリースされ「孤独と夜」から「勇気と愛」を歌うバンドへのモードチェンジ、アルバムツアーにフェスト、そして5月6日に無事に迎えることが大阪城ホール公演「西の渦」・・・と文字打ってるだけでも息苦しくなるくらいに、昨年末から今年の上半期にかけて怒濤の日々をバンドもファンも過ごしていたと思う。私自身、上半期はニコに対してシリアスでしたね。「孤独と夜」から「勇気と愛」への変化は、今となっては自然なことと受け入れているけど、当時の私はニコがモードチェンジした理由を見つけようと、ライヴを観て確かめることに必死でした。でも、この約半年間で4人を良く知ることもできた。また4人のニコであることへのプライドだったり、メンバー間の信頼を今年は強く感じました。なので、今年のベストライヴを選ぶのであればやっぱり「西の渦」。あの日の古くんが見せた笑顔も目に涙をにじませていた顔も忘れられないです。

青春時代の懐古も多かった。UA 、THE YELLOW MONKEY、IN A LIFETIME(トライセラトップスとGRAPEVINEの対バンツアー)にThe Birthday。高校から大学時代にかけての青く甘く苦い思い出を懐かしむ時間でしたね・・・でも、当時からの憧れの人達が素敵に歳を重ねられていて、変わらずライヴのステージに立っていてくれることって、今を生きるエネルギーになりました。特に8月にTHEE MICHELLE GUN ELEFANTの解散ライヴを映画化した『THEE MOVIE-LAST HEAVEN 031011-』観たことでようやく観に行く決心がついたThe Birthdayは本当に感慨深かった。

そしてフェス。まずは、ARABAKI ROCK FEST。今年は最高に楽しかった。私が好きなバンド全て網羅できる面子が出揃ってしまってて結果的に観ることが出来なかったバンドもあったくらい。そこで観たGLIM SPANKEYがめちゃめちゃ渋いロックンロールを鳴らしてて!来年ワンマン行きたいですね。久しぶりに観たASIAN KUNG-FU GENERETIONも流石の貫禄があって凄く良かった。雨に打たれ寒さに震えながら観た奥田民生だったり、椿屋四重奏ぶりに観た中田裕二の色気に動揺したり、BRAHMANは先輩方目の前にしたTOSHI-LOWの素顔を見た気持ちになったり。今のところ一番好きだなARABAKI。今年始めて行った中津川 THE SOLAR BUDOKANは、もうね景色が本当に美しくて(夕焼けが)!!心身共々、かなり癒やされたフェスだった。ただ交通の便がちょっと不便なのが難点だけど、それさえクリアできたら行く価値はあります。音も良いし!

で、今年観てきた40本の中で一生忘れることはないであろうライヴは、9/13 the HIATUSの「Hands of Gravity Tour 2016」STUDIO COAST公演。私の中では、あの伝説の日本武道館公演を越えてしまいましたね。彼らについては、別途書こうと思っています。

最後に毎年思うことだけれど、私は好きなバンドがはっきりしている分足を運ぶライヴはどうしても偏りがちだだし、あと体調不良で飛ばしてしまったライヴがあったことをかなり反省。でも振り返ってみたら、Suchmosや夜の本気ダンスといった若手から、リップスライムという大御所かつ観たことのなかったジャンルまで足を伸ばせたし、念願のTweedyとマニック・ストリート・プリーチャーズも聴けたし少しは冒険できたかな。来年以降は誰のどのライヴに行くかは、しっかり吟味した上でを決めようと思います。そして、来年も素晴らしい音楽と共に駆け抜けます!(その前にCOUNTDOWN JAPANがあるけど!笑)

[PR]
# by musicorin-nirock | 2016-12-27 22:45 | COLUMN | Comments(0)

12/4 The Birthday @ 豊洲PIT

もう20年も前の話になるが、私の高校生活は、人よりも少し苦労の多い3年間だった。中学生活が終わりに近づいていた頃に、両親の仕事の都合で急きょ見知らぬ土地へ転校せざるをえなくなり、自分の成績で入れる確実に高校にとりあえず入学した。それが人生初の大きな試練の始まりだった。クラスメイトとの会話の話題に何一つ興味が沸かず、作り笑いをしてやりすごし、毎日自分を撃ち殺しながら高校へ通った。もしかしたら、途中で辞めても良かったのかもしれないが、親の事を思うと辞められなかった。また、辞めるという決断をしたら、そっちのほうがもっと苦労をするとわかっていたから、ずっと我慢。胃の痛む毎日だった。

音楽は好きだった。元々子供のころからピアノを習っていたし、中学時代は3年間ブラスバンド部に所属。また、テレビドラマの主題歌であったり、流行りのポップソングも良く聴いていた。音楽が身近ある生活だけは、高校に入ってもずっと変わらなかった。ある晩、ラジオを聴いていたら、ビリビリと身体に電流が走ったかのような大衝撃を受けた。「なんだんだ、これは?」。すぐにCDコンポに入っていたカセットテープを回し、番組を録音をする。そして、私は彼らに一瞬にして虜になり、急に今まで好きで聴いていた音楽が子供っぽく思えてしまった。そのバンドこそ、チバユウスケ(Vo)アベフトシ(G)ウエノコウジ(B)クハラカズユキ(Dr)がいた、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTだった。

今思えば、高校以外の場所へと視野を向けることができたら、それなりに楽しく過ごせたのかもしれない。また、単純に、ただ自分をうまく表現できなかっただけなのかもしれない。しかし、当時は地方にある高校という狭いコミュニティしか知らず、今のようにSNSがあったわけでもないから、他に居場所を見つけることもなく、とにかく毎日孤独だった。だから、私は自分の殻に籠った。そして、現実から逃げるようにミッシェルの爆音に自分の身を委ねていた。ミッシェルを知っている人がほとんどいなかったことが救いで、それが自分を守ってくれているような気分だった。

しかし、ミッシェルがきっかけで、ロックバンドについて話せる友人がついに出来た。いつしか自分もバンドをやりたいと思い、更に音楽を突っ込んで聴くようになった。そして、毎月発売されるJAPANも愛読するようになれば、ライターという仕事にも憧れた。それが、退屈な高校生活の中で唯一希望が持てた時間であり、今思えば私の大切な原点だった。

高校3年の冬に、一度ミッシェルのライヴに行った。忘れもしない、1999年のアリーナツアーでやっと取れたチケットだった。確か”ウェスト・キャバレー・ドライブ”が一曲目で、初めてモッシュも経験し、一緒に行った友人とはぐれてしまう。ライヴ後足元を見ると、買ったばかりのスニーカーの紐が引き千切れてしまっていたが、勲章だと思ってボロボロになるまで履きつぶした。

ミッシェルが解散してしまう頃には、正直、このバンドへの熱が冷めていた。高校卒業後は念願の軽音楽部のある短大へ入学し、バンドを続けたくて4年制大学に編入までしてしまったバンドバカの私だった。でも、大学を卒業し社会人1年目にもなると環境の変化から音楽を聴く余裕もほとんどなくなっていった。また、同時期にガレージパンクというイメージの強かったミッシェルには、情緒的で静かな曲が増えてゆき、チバはROSSOという新しいバンドを始めたりもした。私はミッシェルの変化も、チバがROSSOを始めたことも受け入れられず、結局、2003年10月11日に開催された解散ライヴには行かなかった。

2009年の7月。アベの訃報を職場で偶然知った。目の前が涙で滲んでしまい、トイレに駆け込んだことは今でも良く覚えている。こういう時こそ、故人を偲んでミッシェルを聴くべきだったかもしれない。でも、私はさらにミッシェルと距離を置くようになってしまった。本当に終わってしまったんだと、受け入れることができず、自分の中で封印した。もう二度とミッシェルを聴くことはないと、その時は本気で思っていた。


それから17年と言う長い月日が経って、私はようやくThe Birthdayのチバユウスケとして、歌う姿を観ることができた。

きっかけは今年の夏、シネロックフェスティバルで『”THEE MOVIE”-LAST HEAVEN 031011-』を観たことだ。これは、ミッシェルのラストツアーである「LAST HEAVEN TOUR」のツアーファイナルの模様とドキュメンタリーで構成された2009年に劇場公開の映画である。当時、公開されることは知っていたが、観たいとは前向きに思えなかった。

解散から13年を迎えようとしている2016年に、私はようやくミッシェルの終わりと向き合った。そして案の定、複雑な心境に陥った。アベが大画面の中では鋭いカッティングでギターを鳴らしている。でも彼はこの世にはもういない。涙が零れ落ち、頭の中で大混乱が起こる。しかし、気づけは曲に合わせて拳を振り上げたくなり、メンバーの名前を叫びたくなる自分がいた。最後の”世界の終わり”の美しさには言葉を見失ってしまう。幕張メッセを人でパンパンにしておきながら、このバンドは終わってしまうことに現実味が沸かなかった。

『”THEE MOVIE”』を観終えた数日間は大きな喪失感にずっと囚われてしまったが、落ち着きを取り戻した頃になると、聴けなかった後期のアルバムを一通り手に入れ、聴くようになった。それが、最高にカッコよかった。何一つ「古い」と感じることがなかった。今もどこかのライヴハウスに立っているんじゃないかと信じたくなるほどの現役感すら感じてしまった。

その中で、一番胸を打たれた曲が”GIRLFRIEND”という曲だ。この曲は『THEE MOVIE』のエンディングテーマとしても使われている。



ひどく衝撃を受けた。絶望、怒り、そして無念。今までミッシェルを聴いてきて感じたことのない感情が、私の心に沸き起こった。しかし、いつになくメッセージ性の強い歌詞と、それをリスナーの胸にたたきつけるよう激しく声を上げたチバからは、ミュージシャン人生をかけてこれから自分が歌わなければならないものを見つけてしまったんだと思った。真相はわからないが、もう、ミッシェルではチバの歌いたいものを歌い続けることが、不可能だったのかもしれない。あの破壊的なパフォーマンスに、限界を感じていたのかもしれない。ただ、この曲に込められているものは、痛みを知ったからこそロックンロールを信じる想いだろう。それが発売から13年経った今でも、しっかりと呼吸をしていた。そこに痺れてしまったのだ。だから私は意を決してThe Birthdayのツアーチケットを取った。

12月4日。私は豊洲へと向かった。PITの中に入ったのは開場から15分近く経っていたが、メンバーが登場するまで一時間以上待たされたような気分だった。そしてSEに合わせて、クハラカズユキ(Dr)フジイケンジ(G)ヒライハルキ(B)そしてチバが現れた。



一曲目の”ディグゼロ”は決して涙を誘うような曲ではないが、演奏が始まり、チバの声が聴けた瞬間に目から涙が零れ落ちた。メンバー全員、誰一人として客に媚びを売るようなことはしない。MCだってないに等しい。終始一貫硬派に務め、最高にクールでロマンチックなバンドだった。荒野を駆け抜けるようなタイトなビートを刻むリズム隊のキュウちゃんとハルキ、情緒的でジェントルマンなギターを奏でるフジケン、そして人情味溢れる嗄れ声でLOVE & PEACEを歌うチバ。

何度かチバの横にアベとウエノがいないだとか想像してしまった自分も正直いた。その度に泣けてしまってどうしようもなかった。でも、The Birthdayのライヴのステージに立つチバとキュウちゃんの姿は、私が初めてミッシェルのライヴで彼らを観たときと変わらない。確かに年齢を重ね顔に刻まれた皺も増えていたが、私の中では、チバとキュウちゃんの存在の大きさは、何一つ変わっていなかった。そしてその時思ったのだ。好きなバンドが解散してしまったとしても、そのバンドやミュージシャンが変わらず音楽を鳴らしているなら、聴き続けるべきであると。躊躇が生まれるのは当然だし、受け入れられないこともある。でも、自分の人生に希望を与えてくれた人の作る音楽は、変わらずあたたかな光を、自分に照らしてくれるのだ。



私には、チバがミッシェル以外のバンドで歌を歌うことへの抵抗がずっとあった。だから、この日を迎えるまで10年以上の長い時間を要してしまった。でも、そこに後悔をしているわけではない。それ以上に、彼らが私にとって最高にかっこいいロックンローラーで、唯一無二のカリスマで、永遠の憧れであることを確かめられた喜びの方が大きかった。ツアーは終わってしまったけれど、私としては新たな出会いが始まったばかりである。生きていくための楽しみが一つ増えた。それが心から嬉しい。

f0342667_12235501.jpg

[PR]
# by musicorin-nirock | 2016-12-06 12:18 | LIVE | Comments(0)

1125/2016

NICO Touches the Wallsが毎年11月25日に開催している「1125(イイニコ)の日ライヴ」(以下1125)。その去年の1125について書いたブログが未だに読まれているようで「ライヴレポか?」と期待して訪れて頂いた方、去年私はチケット取れない組でした。今更ながらすいません。

さて今年の1125のテーマは、インディーズ時代にリリースされた2枚のミニアルバム『Walls Is Beginning』通称青盤と『runova×handover』通称赤盤を再解釈。青盤に収録された曲は近年のライヴでも披露されることは割とあったけれど、赤盤に関してはライヴで聴いたことない曲が後追いリスナーの私にとっては半分以上。それでも、この2枚、特に赤盤はNICOのアルバムの中で一番好きです。良いんですよ、ロックンロールにメッセージなんて無くて。とにかくヒリヒリしていて、自墜落で排他的なNICO。最高じゃないですか。ただ、当時のライヴ映像を観ていると、メンバー皆、なんだがとっても背伸びしてるように見える。

MUSICA最新号に掲載されているVo&G光村龍哉による単独インタビューで、彼は今、自分ベースで音楽を続ける重要性を感じ、その意志を力強く述べています。『今の俺は、自分が作った曲を自分で聴いて楽しくなりたいんですよね』と。しかも昔の曲を演奏すると疲れてしまうという本音まで。なのに、今回の1125は青盤と赤盤の再現。1125はファン感謝祭でもあるので、今もなお人気のある2枚のアルバムを演奏してくれる、その気持ちに応えてくれた想いはありがたく受け取りたい。でも、本当にそれで良いの?

NICOほど原点と向き合い続けてきたバンドを私は知りません。ロックバンドがロマンを描けるのは、様々な過去を乗り越えていくために、後ろを振り返らず、突き進んで行くから。だけどNICOはちょっと特異で。彼らは原点、つまり過去を見つめ直さないと、前に進むことは出来なかった。なぜなら、若くして飛び出してしまった大舞台以降、茨の道を歩むことになってしまったから。そんな自分達の過去を、なかなか受け入れる事ができなかったから。彼らは後ろを見つめながらがむしゃらに進むしかなかった。そして今、そこからやっと解放されたのだから、もっと自由に、バンドの現在地を大いに鳴らしていくべきなのでは?

…という気持ち悪い想いを抱えたままで25日迎えても仕方ないから、2枚のアルバムを冷静に聴いてみたり、光村のブログを遡って読んでみたり。そして見えてきたことがあります。

今年2016年は、青盤と赤盤のリリースから10年目。そんな記念すべき年に開催される1125は、その節目を持って「バンドの原点を見つめ直す」という意味合いだけでは無いんじゃないかと。私が今回のライヴで一番重要だと思うのは「2枚のアルバムの融合から成る世界を完成させる」こと。さらに突っ込んで考えていくと、年始に光村がTwitterで「いつかやりたい!」と呟いていたロックオペラの存在が、ほんやりと浮かび上がる。

時間があったら2004年~2006年あたりの光村のブログを、1125に行かれるまでに読んでみたら、今回のライヴかなり楽しめると思います。アルバムの歌詞が当時の彼の頭の中、そのままです。だけどされど10年。演奏技術、歌唱力、表現力、ミュージシャンとしての自我の芽生え、そして20代から30代を迎えたことからの精神的な成長などが確実に+αされ、しかも楽曲の傾向からして実にアーティスティックな時間に、今年の1125、なると思います。

これはあくまでも私個人の推測です。聴く人によっては思い出深い曲が始まれば懐かしい気持ちが生まれるだろうし、きっと今回のテーマ決定の意図もMCで話してくれるだろう。何よりライヴが真実なので、あまり強気に発言はできないけれど…。

NICOには本当に振り回されているなと思うし、それがこのバンドの面白さなのかな。ただもう最近は、昔のNICOが良いとか今のNICOが良いとか天秤に掛けていること自体がナンセンスだと感じていて。どちらにせよ、既存曲のライヴとは言え、新たな出会いになるかもしれない。

当日、遅刻だけはしないようにします。と言うことで、1125まであと3日。


[PR]
# by musicorin-nirock | 2016-11-22 21:34 | MUSIC | Comments(0)

10/14 the HIATUS @ Blue Note TOKYO ~ 1st Stage ~

普段the HIATUSのライヴに行くと、感情という感情が全て放出されてしまうくらい、私はめちゃくちゃ興奮させられる。彼らは楽曲のスケールのデカさも相まって、観る側も覚醒してしまうくらいもの凄いライヴをする、稀ないロックバンドだ。しかし、伊澤一葉(Key)の奏でるグランドピアノの演奏をSEに、黒いスーツ姿に身を包んだメンバーが登壇すると、ジャズクラブの名門・Blue Note TOKYOならではの格別な音楽空間が広がった。

最新アルバム『Hands Of Gravity』の楽曲を中心に、新旧織り交ぜたセットリストで繰り広げられた約70分間の短いステージは、楽曲の壮絶さやスケール感ではなくて、メロディの美しさにスポットを当て続ける臨場感あるアンサンブルが、しっとりとオーディエンスを魅了させる。

聞き応えのある伊澤の生ピアノがジャジーでアダルトな雰囲気を演出し、1人革のジャケットを羽織りパンクスのプライドを胸に掲げるmasasukes(G)が1音1音繊細にギターを鳴らした。最新アルバムでは作曲も手がける柏倉隆史(Dr)が、そのメロディを歌うよう滑らかにリズムを刻むと、MCの助け船としても登場したバンドの最年長・ウエノコウジ(B)が渋いグルーヴを放つ。「ギターを弾かずに歌う」という意志を持ってライヴに挑んだ細美武士(Vo&G)は、メンバーに演奏を委ね、歌に全神経を注ぐ。その歌声はとても自由で、豊潤な表現力で大きな花を咲かせていた。


***


9月13日、STUDIO COASTで観た『Hands Of Gravity TOUR』のMCで細美は「酒を呑んでも呑んでも声が出る」などとオーディエンスを沸かせ、言葉通りの凄まじい歌唱を披露した。コンディションを整える為の見えない努力もあるに違いないが、それだけ歌に対する意識がここ数年で変わったように感じる。その大きな理由が、昨年より始動させたやんちゃなロックバンド、MONOEYESの存在だ。全くモードの違う2バンドのフロントマンとして生きる細美は、今日本で一番忙しいミュージシャンと言ってもおかしくない。しかし、今の彼の歌声を聴いていれば、音楽人生の充実であることがはっきりとわかるのだ。

そして彼の充実がメンバーにも伝染し、今公演にて5人が起こした最大のハイライトが、喪失感と孤独の最中で生まれた初期楽曲を見事に生まれ変わらせたことだ。ライヴのオープニングを飾ったのは、<I'm trapped inside infinity / And have lost sight of a trinity(対訳:僕は無限の中に捕らえられて/3人組を見失ってしまった)>と当時の細美の心情を痛感させられる”Centipede”。彼らの1stアルバム『Trash We'd Love』に収録され、近年ライヴで披露されることは滅多にない。しかも、今回はイントロを聴いただけでは何の曲か全くわからず、細美が歌い出してやっと気づかされる始末。その変貌振りに思わず感嘆の声を漏らしそうになれば、何故この曲が1曲目に選ばれたのか戸惑った。それでも、威嚇のようなエレキギターは聴こえず、夜空に浮かぶ星屑のような輝きを放ち、色気と哀しみが混同する濃紺のブルースに、心が大きく揺さぶられた。

その後も、次から次へと曲が始まるごとにを強烈に実感させられたのは、5人の途絶えることのない音楽への情熱だった。the HIATUSは結成して7年が経ち、同時にメンバーも同じ年数歳を重ねている。当然、若さは失われ、懐古的な気分に陥る時もきっとある。しかし、このバンドの音楽への好奇心やチャレンジスピリットは衰えることを知らない。音楽を生業にしている身であるし「当然だ」という面持ちで5人はステージに立っていたが、その姿が全く傲慢にも嫌みにも感じなかったのは、一貫してチケット代2600円を守り、キャパの小さいライヴハウスのステージに立ち続けてきたからだ。

Blue Note TOKYOという高貴な場所であれ、泥臭い己の精神を彼らが曲げることはない。細美は高いチケット代を払い、今日のステージを観に来てくれた事に心からの感謝を述べていた。また、次の回に来るオーディエンスの楽しみを奪わないためにも「セットリストをライヴが終わるまでは、ネットに上げないで欲しい」と訴えかけ、実際に10月22日のMotion Blue YOKOHAMA公演終了まで、セットリストがネット上に出回ることはなかった。これはSNS時代と呼ばれる今のご時世、本当にあり得ないことである。それを可能に出来たのは、今まで培ってきたオーディエンスとの強い信頼関係が彼らにはあるからだ。

***


アンコールの”Insomnia”は、聴き手の心に明かりを灯すような優しさが生まれていた。

本来この曲は、<僕は無限の中に捕らえられて/3人組を見失ってしまった>と嘆く1人の男が<Save me!>と、どん底から声を上げる歌だ。しかし、男は音楽を信じ、信頼できる仲間と共に音を鳴らせる喜びを知り、精神的なタフネスを手に入れた。

細美の抱える喪失感が、消えたとは思わない。しかし今は、彼を音楽に向かわせる「一部」になっているのではないだろうか。だから、最大の武器である歌声を自由に羽ばたかせ、今は希望の歌として<Save me!>とオーディエンスと共にシンガロングができるのだろう。この光景を目の前に、満たされたもの感じた。私に生まれた感情を言葉にするのなら、幸福と呼ぶのだと思った。きっとメンバーも会場に集まっている誰もが、そう感じていたはずだ。


***


the HIATUS。このバンドの精神性に救われ続けている私は、彼らの音に頼ったり、時に敢えて突き放したりしながら、バランスを取って生きている。そんな中でも、心に余裕が無くなってしまい、どんなに好きな彼らの音でさえも耳に入って来ない時期があった。私は音楽の力が全てだと信じていたが、やはりそれは全てではなくて、人が立ち上がるための一つ手段でしかないと身をもって知ったのだ。正直、これまでにも「そういうものなのかもしれない」と腑に落ちる瞬間が訪れたこともある。それでも、音楽は決して無力ではなかったから、私はライヴへ通う。そして、音楽に無限の力があるんだと強く体感したのが、最新アルバム『Hands Of Gravity』であり、先述したSTUDIO COASTでのライヴだった。

今回のBlue Note TOKYO公演では、the HIATUSが生み出してきた楽曲の素晴らしさに心を打たれ、目の当たりにしたプレイヤーとしての技術力に感嘆し、何より純粋にthe HIATUSが好きだという気持ちを、初めて彼らの音を聴いたかのような興奮と共に味わうことができた。それが一番の喜びだった。ライヴハウスの爆音よりも、少し小さな音を鳴らす5人。だからこそ、彼らを至近距離で感じられるこの空間の温かさに私は泣いた。特別、辛いことや悲しいことがあったわけではない。ただ「いつだって、またここに来れば良いじゃないか」と優しく肩を叩いてもらったようで、それだけの理由で涙が出た。

演奏を終え、オーディエンスとハイタッチしながら満足げに会場を去って行く背中から、終わりなき挑戦者達の旅が、また再び始まる予感を私はしかと感じ取る。

会場を出て表参道駅へと向かい、知人と別れ地下鉄に乗った。「さあ。顔を上げて行かなくちゃ」。私の心にも新しい追い風が、すでに吹き始めていた。


***


f0342667_11210568.jpg


[PR]
# by musicorin-nirock | 2016-10-29 21:02 | LIVE | Comments(0)

10/4 NICO Touches the Walls @豊洲PIT「『弱虫のロック論2(仮)』リリースパーティ」





今から2年前、2014年の2月。NICO Touches the Wallsは東京・原宿にあるギャラリーを貸し切り、篭城型ライヴ『カベニミミ』を敢行した。1ヶ月間週5でステージに立つという前代未聞の挑戦。そして、同時期にリリースされたベストアルバムに収録され、翌月シングルとしてもリリースされたのが「ローハイド」という曲である。

この曲の主人公はNICO Touches the Walls自身だ。

自ら嵐に打たれに出掛けていったような日々を<駆け抜けろ>と歌い、後に二度目となる日本武道館公演のリベンジを果たし、大きな飛躍を遂げることになるニコの濃厚な物語のはじまりの歌でもある。

10月4日、音楽評論家・平山雄一氏が自身の著書の発売を記念し東京・豊洲PITで開催された『「弱虫のロック論2(仮)」リリースパーティ』で1曲目にニコが演奏した曲は「ローハイド」。それは原曲とは一味も二味も違う、素晴らしいアレンジが施されていた。

荒野に吹く風らしき音を流しながら、荒いアコースティックギターを掻き鳴らし、光村龍哉(Vo&G)は歌い始めた。抱える不安や孤独感を、ただ吐き出すように歌うのではなくて、真摯に向き合い受け止めていくような逞しい歌声だ。サビに近づくとダンダンダンダンと力強くバスドラが響き渡り、その歌声は勢いを加速させた。

  駆け抜けろ この荒野 
  独裁者 俺を解き放てばいいさ
  準備オーライ? 準備オーライ?
  ろくでもない やんちゃな夢 追いかけたい

  準備オーライ 準備オーライ
  いざローハイド

1番が終わるタイミングで、耳なじみのある煌びやかなギターのイントロが始まる。瞬く間にフロアに広がる多幸感。音の光の中へと吸い込まれて行くオーディエンス。私の目の前には、とても美しい景色が広がっていた。

曲を明暗に分けた今回のアレンジには、強い訴求力があった。
何より、バンドの軌跡の裏側にあるものを隠そうとはしないニコの姿勢から、彼らの本質を見た気がした。

***

振り返ってみれば、「ローハイド」をリリースしたばかりのニコはただの弱虫だった。

先に述べた『カベニミミ』も、若さと勢いがあったからこそやり通せたもので、精神的・肉体的な疲労やストレスを考えれば、誰もが無謀だと言う挑戦だ。しかし、なんとしても当時の現状からニコは脱却したかったのだろう。『カベニミミ』が、バンドをさらにタフにしたことは事実であるが、敢行する決断の裏側には、大きな危機感もあったのではないかと思う。その後も相変わらず遠回りを繰り返していたが、その分何度も脱皮できたからこそ、楽しさと、ロックバンドとしての説得力を感じさせるライヴができるようになった。そして、ニコの音楽が確実にリスナーの心を掴み、生きる希望や勇気を与える存在へと成長していることは、最新アルバム『勇気も愛もないなんて』や、シングル「ストラト」を聴けば、一目瞭然である。

私は『「弱虫のロック論2(仮)」リリースパーティ』というイベントタイトルを見た時に、ニコがこのイベントに呼ばれたことと(大袈裟ではあるが)良い意味で運命的なものを感じた。その時はただ、決定的なものを掴んだわけではなくて、ぼんやりとそう感じていただけなのだが、この「ローハイド」を聴いた時に確かな理由が見えてきた。弱虫の決断は、バンドの運命を変えた。そして彼らの音楽は、リスナーの日常に光を照らし続けている。これは、弱虫が手に入れた最大の強みであり、ロックバンドとしての然るべき姿だ。

また、この日は暫くライヴで披露されていない、活動初期の楽曲も披露された。スタイリッシュなギターのカッティングをフックとなり、ゴリっとしたの低音が絡む都会的なグルーヴで沸かせた「anytime,anywhere」や、素朴な言葉を光村が色っぽく歌い上げた「梨の花」など。聴いていると、メンバーの20代前半だった頃の姿と重なり合う瞬間もあったが、ステージに立っていたのは音楽とフラットに向き合う姿が自然体なグルーヴを生む30代のニコだった。

残念ながらイベントの途中で私は離脱せざるを得なかったのだが、また来月、年に一度のあのお祭りでニコと再会したい。そして、新たな季節が訪れているニコを、これからも見届けていきたいと思う。


[PR]
# by musicorin-nirock | 2016-10-06 21:48 | LIVE | Comments(0)

主にNICO Touches the Walls について書いておりますが、他にはGRAPEVINE と the HIATUS が好きです。記事の無断転載、引用はご遠慮ください。


by タナイユウ
プロフィールを見る